マジスカスクエアガーデンではこれまでに様々な記事を制作してきた。
自分の大切な人たちを駒にして将棋をおこない、勝利のための戦法に非情に徹することができるのかを検証したり、
カードゲーム『遊戯王』でエグゾディアが揃ってない場合でも、揃った風にしてやり通せる方法を紹介したり、
いつの間にかマジスカスクエアガーデンは社会派メディアとして、日々の生活をほんのちょっぴり豊かにする手助けを続けてきた。
そしてこれらの記事の企画は、当サイトの管理人・ぴろぴろと企画プロデューサー・こだまで定期的に企画会議をおこない、良さそうだと思ったものを形にしていくのだが、
その裏では実際に公開された約6倍もの企画が没になっており、中には途中まで書き進めてから没になった記事も多い。
そこで今回は発案時に「やってみよう!」とテンションが上がったにも関わらず、
途中で頓挫してしまった企画5つを紹介していきたいと思う。
振り返る人たち


没記事を振り返ろう

いやはや、今宵もキラリと光る没記事が揃ってますよ。


今回は没記事と一緒に「この企画を実現させるために必要なこと」を読者の皆さんに伝えられればと思います。


今回も勢い余ってサムネイルと途中まで内容を作ってしまったので、順に見ていきましょう!


AVの冒頭インタビューにおける鋭い質問10選


AV業界は、年間に1万タイトル以上もの作品が生み出される巨大市場である。
2006年には「芸能人参戦」という潮流も相まって、市場規模が660億円にまで膨れ上がった。
AVのジャンルは多岐にわたり、ドラマや映画と同じようにストーリー性やテーマが追求されるものから、バラエティー番組のような企画モノまで様々である。
そして、その中でも王道と言われるAV作品にはとある様式美が存在する。ディスプレイの前の男性諸君なら、誰もが見たことがあるだろう。
AVでは本格的な撮影の前に、作品の最初で様々なインタビューをおこなう場合が多い。
取り急ぎ次のチャプターへ向かうせっかちな殿方も多いことは察するが、我々は今回このインタビュー部分に注目したい。百戦錬磨のAV監督または男優によるインタビューには、女優がうろたえ、丸裸にされるような鋭い質問が必ずあるはずだ。
今回はあらゆる女優のデビュー作品の冒頭部分を視聴し、その中でも鋭い質問を10個ほど選出する運びとなった。
女優を丸裸にするインタビュワーの手練手管を参考に、ジャーナリズムとは、報道とは、ということを考えるきっかけとしたい。
調査開始
まずは都内某所にあるDVD鑑賞ができるお店に行って、AVを見まくる。
一つ作品を見てはその中にある鋭い質問をスプレッドシートに記録していき、その中から最も鋭い質問を

鋭い質問一つもなかったです。

ボツ理由:もうずっと鋭くない

検証作業も地獄でした。なんか、ずっと準備体操してる感覚なんですよ。






質問じゃないですね。


『この記事の制作のためのお願い』
インタビュー部分で鋭い質問だと感じた箇所のあるAV作品をご存知の方、我々までご一報ください。


一番髪が伸びても怖くない人形決定戦


人形といえば、児童のおもちゃからインテリアまで。用途こそ多岐に渡るものの我々の生活を幼少期より見つめてきた、かけがえのない存在である。
そして、我々が幼い頃人形と一緒に遊んだように、人形には時に意思が宿り、単なる置物ではなくなる瞬間があるはずだ。
ただ、人形によっては作り手の意思とは裏腹に、見た目が怖くて思わず引いてしまうものも存在する。日本人形などは、夜中に部屋に鎮座しているとゾッとする最たる例だろう。
そこで、それら見た目が怖い人形の怖さの要因を考えてみる。
不気味な目つきや肌の色も一因だが、やはり怖さの大半は髪の毛の長さによるものではないだろうか。一部には呪いにより髪が伸びるといった伝承もあり、人形の怖さを引き立たせる上でやはり髪は重要な要素である。
すなわち、髪が伸びても見た目が怖くならない人形がいれば非常にありがたいのだ。人形が苦手な子供も、ここでピックアップした人形と過ごすことで、恐怖心の克服に繋がるだろう。
今回はあらゆる人形の中から、一番髪が伸びても怖くない人形を探し出すことにした。
我々が将来子供に人形を買い与えた時、その人形は髪が短くても長くても優しい笑顔で子供に接してくれたら、それはどんなに素敵でどんなにかけがえのないことだろう。
検証開始
髪が伸びても怖くない人形としてまず我々が白羽の矢を立てたのが
バズ・ライトイヤーだ。
ディズニー作品『トイストーリー』に登場する人形であり、主人公ウッディの良き相棒として活躍する。
普段は五厘刈りの彼だが、これが長髪になっても恐怖感はない気がする。
それでは早速このバズ・ライトイヤーの髪の毛を、あらゆる加工技術を駆使して伸ばしてみることにする。
まずはこの短く刈り込まれた五厘刈りの頭をイラストレーターで


ボツ理由:髪の毛じゃなかった





イメージだけで記事を書き進めてはいけない。勉強になる事例でした。

『この記事の制作のためのお願い』
バズ・ライトイヤーの実際の髪型を教えてください。


どんな洋画でも日本語のスタッフロールを流したらダサくなるのか


タイタニック、ショーシャンクの空に、フォレスト・ガンプ…
海外映画の名作を挙げ始めたらキリがなく、それらは海を越えて我々を幾度となく感動させてきた。
ハリウッドをはじめ海外映画のいくつかは予算の潤沢さが日本映画と段違いで、画力(えぢから)のクオリティでしばしば比較されている。
人によっては「邦画は安っぽく、洋画は本格的」という意見もあるようだ。
邦画には邦画の強みがあり、一概に差をつける意見には懐疑的なものの、
いわゆる大作と呼ばれるハリウッド映画の美術やCGを見ていると、どこか日本映画のスケールでは手の届かないリッチさを感じることは事実である。
そんな洋画の名シーンに、
日本語のスタッフロールを流したらどうなるのか。
仮に洋画だから本格的なのだという先入観に囚われた人は、その瞬間に一気に幻想から目覚め、お茶の間で親父の背中越しにテレビを見ている自分に戻るのではないか。
ということで今回はあらゆる洋画の名シーンに日本語のエンドロールを差し込むことで、
人は一体どんな気持ちになるのかを検証してみた。
①タイタニック
まずはタイタニックで検証してみよう。
ローズがジャックに「私飛んでる」と叫ぶシーンである。
タイタニックを観たことがない人でも知っているくらい、代表的な名シーンだ。
ここに日本語のスタッフロールを挿入する。
1時間ドラマになった。
「来週のタイタニックは」と続かんばかりの親近感。あるいはビートたけしが数分後に「この後すぐ!」とでも言い出さんばかりの民放感が、ムンムンと出てきてしまった。
日本語のエンドロールが入るだけでこんなにも茶の間サイズになるものなのか。この2人も、ホットペッパーのCMが如く日本語で話してるように見えてくる。
②アベンジャーズ
続いては「日本よ、これが映画だ。」で有名なアベンジャーズでやってみよう。
商店街の出し物になった。
「日本よ、これが日本だ。」と言わんばかりの町の組合感。商店街を盛り上げるためにお父さんたちが慣れない扮装で頑張り、色々あって結果ボヤ騒ぎを起こしてしまう。なんとも哀愁漂う2時間特別ドラマである。
次は言わずと知れた名作、ニュー・シネマ・パラダイスなんかで試し


ボツ理由:ハリウッドに怒られる




『この記事の制作のためのお願い』
日本語のエンドロールを流して良い海外映画の製作者さま、ご一報ください。


マジシャンを急にびっくりさせたら鳩は出てくるのか


マジックといえば、トランプやコインを使った簡単に披露できるものから、人体の切断・消失など大規模なものまで多岐にわたる。
手品という言葉の通りマジシャンは手を変え品を変えて、幾度となく我々を驚愕と感嘆の渦に巻き込んできた。
そんな中でも王道のマジックショーとして「鳩出し」がある。
何もないはずの袖や帽子から鳩を出現させるマジックは、その見た目のインパクトも相まって「THE・マジシャン」と言えるような正統派パフォーマンスだ。
そのため多くのプロマジシャンにとって鳩はきっと相棒のような存在であり、営業先に赴いた際や舞台前など、その身に鳩を忍ばせていることは想像にかたくない。
もし仕事前後のマジシャンを急に驚かせば、身体から鳩が飛び出してくるのではないだろうか。
本来人を驚かせる職業のマジシャンが驚かされたときの反応はとても興味深い。また、その驚きおののき具合によっては、飛び出してくる鳩の数も変わってくるかもしれない。
ということで今回は実際に、どれだけ鳩を飛び出させられるのか検証してみることにした。
検証開始
ルール説明
チャレンジャーは手品バーの控え室にいるマジシャンに後ろからそーっと近づき驚かせる。
飛び出した鳩の数を鳩ポイント(以下HP)として、一番HPが多いチャレンジャーが勝利とする。
ということで、まずは都内にある某手品バーに赴き、そこにいるマジシャンを後ろから急に驚かして


ボツ理由:マジシャンがかわいそう




『この記事の制作のためのお願い』
制作しませんし、みなさんも絶対に真似しないでください。


ドラマ『ガリレオ』に出てくる数式、カッコよさを保ったままどこまでレベルを落とせるか
大人気ドラマ『ガリレオ』を見たことはあるだろうか。
主演の福山雅治が演じる湯川学が、その明晰な頭脳を駆使して事件の中で起きた超常現象を解決していく話である。
物理学に精通している湯川は作中のあらゆる場面で、様々な数式を書き残すシーンが見受けられる。
そのルックスとお決まりのBGMも相まって、難しい数式に囲まれた福山雅治というこの画こそまさに『ガリレオ』なのだ。
この黒板に書いてある数式が、『ガリレオ』というドラマのブランドを保てる限界のレベルはどのくらいだろうか。
もちろん福山雅治のルックスも大きな要素だが、後ろに書かれた数式のレベルも一定以上ないとガリレオが成立しないはずだ。
ということで今回は、福山雅治改め湯川氏の周りの数式のレベルを徐々に落としていき、『ガリレオ』の世界観が崩壊する限界ラインはどこなのか検証してみることにした。
検証開始
まずは以下のように、背景を透過した状態の福山雅治を用意する。
そしてこちらを、数式が書かれた黒板におもむろに貼り付ければ完成だ!
まずは彼の数式を高校数学のレベルまで落としてみよう。
うん、まだ大丈夫そうだ。
なんとなく数式の意味が読み取れるようになってしまったが、福山雅治の凛とした佇まいによりガリレオの世界観は未だ保たれている様子だ。
それでは続いて中学数学にまでレベルを下げてみよう。
ちょっと怪しいが、まだ大丈夫そうだ。
完全に予備校教師の風格になってきたが、依然として福山雅治の鋭い眼光がガリレオの緊張感を崩さない。今回は何か回転する凶器により人が殺されたエピソードで、彼はその見取り図を書いているのだろう。
「空間図形とは、実に面白い!」と唸る彼の声が聞こえてくるようだ。
それでは続いて小学校高学年の算数にまでレベルを下げてみよう。
そろそろ危険な匂いがしてきた。
しかし、容疑者のアリバイのある時間を確認していると解釈すれば、そこまで分かりやすく記述してくれるのねと好意的に見ることができるだろう。
続いてこのまま、小学校低学年の算数にまでレベルを下げてみよう。
逆にそれっぽい。
単純な足し算のおかげで、逆に何かこう非常に哲学的な自問をおこない、深い真理を追求しようとしているような佇まいを


ボツ理由:ガリレオに怒られる




『この記事の制作のためのお願い』
ドラマスタッフのみなさん、ならびに視聴者のみなさん。絶対実現させませんのでお許しください。


総括




この記事をご覧になってる方々もぜひシェアをして、ご協力いただきたいです。

お願いします!!
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完