競艇場のおじさんたちは「I love you」を何と訳すのか




 

『我輩は猫である』や『坊つちゃん』などの作品を生み出した明治時代の文豪、夏目漱石は同時に英文学者でもあった。

そして彼が英語教師として教鞭を執っていた頃、「I love you」「月が綺麗ですね」と訳したのは有名な逸話である。

 

実はこのエピソード自体、後世の創作であるという説が濃厚だったりする。

にも関わらずこれだけ世間に浸透した背景には、「日本人は直接愛を伝えることができない」というそれらしい要素が詰まっているからだろう

 

考えてみれば「I love you」の訳なんてものは「あなたが好きです」だけではない。

こと告白において、愛の表現は一通りではないわけだ。そこには人の数だけ訳が存在する。

 

たとえ漱石が「月が綺麗ですね」と訳したとしても、まったく異なる世界と価値観で生きている人たちからすれば、また違った「I love you」の訳が存在するはずだ。

 

 

 

競艇場にいるおじさんたちは、

「I love you」を何と訳すのだろうか。

 

生きるか死ぬか、伸るか反るか、そんな尖りきったナイフのエッジの先端を歩く彼らなら、愛する女性に何と伝えるだろうか。

この世の酸いも甘いも知った(どちらかと言うと酸味の方が多いかもしれないが)彼らの訳す「I love you」は、もしかすると漱石の「月が綺麗ですね」よりも魅力的かもしれない。

 

ということで今回は、競艇場にいるおじさんたちは「I love you」を何と訳すのかについて調査する運びとなった。

 

調査方法

今回は東京都江戸川区にある競艇場、江戸川ボートレース場にて聞き取り調査を行う。

1955年に開場され、全国で唯一河川の水面を利用した競技場である。

 

競技場自体が海の河口に近いこともあり、水位の影響を受けやすく、レース途中の転覆や落水等のアクシデントが圧倒的に多い。

スタートでほぼ決まると言われている競艇において、この競技場ではレース中の順位の入れ替えが頻繁にあるという。

 

ただこの日はあいにく本場開催でのレースが行われていなかったため、

 

場外レースを見守る屋内の投票所周辺および、

 

屋外の休憩スペースに佇むおじさんたちに聞き取り調査を行っていく。

まずは競艇の話題から入り、徐々に場を温めたあと、撮影許可をもらって本題の「I love you」の訳を聞き出す。

 

それでは早速見ていこう。

 

調査開始

まずは屋内の投票所にてひたすらおじさんに話しかけていく。しかし、会話に入ることすらなかなかに難しい。

わかっていたことだが、年齢や競艇への思いに関しては何艇伸も離れている我々が、彼らの懐を伺うのは容易ではない。

 

コース取りに失敗した我々は第1ターンから大きく遅れをとった。

 

さすがは天候と海の影響をもろに受ける全国屈指の特異な競艇場、江戸川ボートレース。我々の調査も難航を極める。

今この瞬間に人生の最大瞬間風速を記録しようしている人たちにとって、確かに我々の存在は邪魔でしかない。

 

ただ調査を開始して30分経ったところで、ようやく何人かと話を進めることに成功。しかし肝心の「I love you」の訳の話題になったところで…

 

「んな難しいことわかんねぇよ」

 

「無料ではやんないね」

 

と、さすが歴戦の猛者たちは一筋縄ではいかない。

 

結局4時間ほど調査を続け、約60人に聞き込みを行なった結果、7人から「I love you」の訳を聞き出すことに成功した。

 

今回はその7人に頂いた回答の中から、最も味のある3つの「I love you」の訳を紹介していきたいと思う。

 

1人目

1人目に協力してくださったのは競艇歴50年、77歳のこちらの方。20代の頃より競艇場に通っており、賭ける金額は毎回200円程だが、1~10万円勝つこともあるという。

 

– 取材にご協力ありがとうございます。今日は自信の程はいかがでしょうか?

おじさん
自信?そんなものわっかりませーん。

– なるほど…今日は何時くらいまでいられるんですか?

おじさん
獲れたら帰っちゃうよ。だから夕方には帰っちゃうね。

– 全レースは見ずに、ある程度稼げたら帰られるのですね。

 

おじさん
あ、てかお兄さんこの人知ってる?この人は、もう引退した今村。今村っていう山口県出身の選手なんだけど。

– …ちょっと存じ上げないですね。すごい方なのでしょうか。

 

おじさん
モンキーターンの元祖の人ね。

※モンキーターン…競艇における旋回手法の1つ。ボートの上に前傾姿勢で立ち上がり、外側を蹴るようにして旋回する。外側に荷重がかかって通常のターンよりも高速旋回が可能になり、従来の膝で体重を支える乗り方よりも膝への負担が軽くなったとされる。

おじさん
この今村選手が教わったのが東京の飯田さん。

この飯田さんがモンキーターンを生み出したの。何度も何度も転覆を繰り返して、この旋回方法を生み出したのよ。

– なるほど。こちらは昔購入されたテレフォンカードですね。ちなみにお父さんは今、何かのレースの予想をされているんですか。

 

おじさん
今は福岡の第4レースの予想中。誰が来るかってのを見てるわけなんだけど。

 

おじさん
この中ではA級の選手がこの人。ほんで、これもA級

– おぉ。A級揃いなんですね。

 

おじさん
で、この人が特A級だね。

– その上がいたんですね。

おじさん
そう。だから、A1って書いてあるでしょ?

競艇は基本的に内側から1,2,3着っていうセオリーになってるのよ。経験のない人はそういう風に予想をするんだけど、僕は長年見てるから分かるわけ。

– スタート位置が勝敗を大きく分けるんですね。ただお父さんは違う予想をすると?

おじさん
レースは4日間あるんだよ。だから、この中でモーターの整備力が大事になってくるわけ。

モーターの整備が得意な選手。モーター勝率って言って、記録としても残っているんだよ。

– レースにおける技術の他に、乗り込む機体の整備も重要になってくるんですね。

 

おじさん
そうするとこの2番の村上さんが圧倒的に有利だってわかるんだよね。

– 村上さんはモーターの整備が得意なんですね。

おじさん
だから、もしこれを単勝で買うんだったら、

村上に100万でも200万でも賭けるよ。お金があればね。

 

おじさん
だけど僕は持ち家もなければ、借金もあるし。そんなことはできない。

まぁ3連単で買ったほうが配当もいいし、僕だったらこれは、2-4-6か2-6-4で買うね。100円で。

– 単勝で賭け金を大きくするのではなく、少ない賭け金の3連単で大きく獲ると。

おじさん
まぁ怖い人は3連複とかもありだね。

 

おじさん
もういいでしょ?まだ話し足りない?

– ありがとうございます!実はちょっとお聞きしたいことがありまして…お父さんは夏目漱石をご存知ですか?

おじさん
あぁ、知ってるよ。

– その夏目漱石がI love youを「月が綺麗ですね」と訳したのは知っていますか?

おじさん
なんか聞いたことあるね。

 

– そこで、お父さんなら「I love you」を何と訳しますか?

おじさん
え?あぁん??

 

おじさん
何だよそんな急に。

競艇の話と全く関係ないじゃないの。

– ちょっと競艇からは外れてしまったんですが…お父さんなら、どう訳しますか??

おじさん
難しいよ急にそんなこと聞かれても。

– 夏目漱石は女性に「月が綺麗ですね」と好意を伝えたのですが、お父さんならどう伝えますか??

おじさん
うーん……

 

おじさん
まぁ、そうね。好きな女性にでしょ?

なら、まぁ僕ならこう言う、

かな….

 

 

 

おじさん
お前を愛してる。抱くぞ。

だな。

 

– 前半で訳しきってるじゃないですか。

– 何で後半プラスで抱こうとしてるんですか。

 

おじさん
訳せって言うからそう答えたんじゃないの。

何なの。早く他の人にも聞いて来なさいよ

– いえ、すみません。実直で素敵な訳でした。ありがとうございました!

 

1人目のおじさんの「I love you」の訳は『お前愛してる。抱くぞ』であった。

英文上では何の関連性もない“月”が出てきた漱石の訳のように、このおじさんのI love youには、文章外の赤裸々な男らしさが含まれていた。

 

2人目

2人目に協力していただいたのは競艇歴不明、75歳のこちらの男性。食事中にも関わらずインタビューに応じていただけた。

 

おじさん
宗教の勧誘?

– いえ、宗教の話ではないです。お父さんは夏目漱石をご存知ですか?

おじさん
なぁん?聞いたことはあるな。

– その夏目漱石が昔 I love youを「月が綺麗ですね」と訳したんですが、もしお父さんなら I love youを何と訳しますか?

おじさん
何と訳すか?

 

おじさん
そんなの「あなたを愛してる」しかねーだろ。

– そうですね。ただ、そこをもう少しお父さんなりの表現というか…

おじさん
「あんたが好きだ」とか、それ以外ねーよ。

– 例えば夏目漱石はそれを「月が綺麗ですね」とか訳したのですが…

おじさん
オメェさぁ、夏目漱石だって別に神じゃないんだぜ。

 

– そうですね。それはそうなのですが。

おじさん
昔の偉い人とか関係ねぇよ。俺ちっとも尊敬してないもん。

有名じゃなくても、70年80年生きてきた人の方がよっぽど偉いよ俺からしたら。

– なるほど。

 

おじさん
大体、神だの悪魔だのは人間が作り出したものなんだよ。あり得ないんだよそんなもん。

– お父さんは神を信じていないのですか。

おじさん
そりゃそうだ。神が人間を作ったんじゃないんだよ。

人間が神を作ったんだよ。偶像なんだよ。

 

おじさん
宗教の一番怖いところはさ、他の宗教を邪教としてしまうところなんだよな。神なんていないのに。

あ、ちなみに俺は浄土宗は好きなんだけどね。

– がっつり、宗教の話になってきましたね。

 

おじさん
浄土宗はさぁ、人も動物も皆共に生きるって考えなの。こっちの方がよっぽどいいだろ?神を信じるよりも。

– 確かに、全員分け隔てなく一緒に生きていこうという考えは大事ですね。

おじさん
そうなんだよ。神なんていないんだから。あんなの偶像なんだよ。

– ふむふむ。ちなみにそんなお父さんが信じるものとは何なのですか。

おじさん
自分。自分しかいないよ。

俺75なんだけど、結婚しなかったんだよ。ずっと一人で生きてきた。自分しか信じてねぇもん。

 

おじさん
まぁ本当はやっぱり、子供作って孫作って死んでいくのがいいとは思うんだけどね。

俺さぁ、すごい好きな言葉があるんだよ。

– 教えていただいてもよろしいですか?

おじさん
運命は自ら招き、境遇は自ら造る。この言葉がすげぇ好きなんだよね。

– まさに自分を一番信じているお父さんが体現している言葉ですね。

 

おじさん
人生は皆自分が主役なの。脇役なんてないんだよ。

だからある意味みんな神なんだよ。まぁ、神はいないんだけどね。

– ちなみに、そんなお父さんが、愛している人はいるのでしょうか。

おじさん
愛してる人?

 

おじさん
いないね。言っただろ。俺は一人で生きていくって。運命は自ら招き、境遇は自ら造るんだよ。

– 過去にもいらっしゃらなかったのでしょうか。

おじさん
あぁん?まぁ、昔は。昔はな、いたけどな。

– おぉ、その時は想いは伝えられたりしたのですか。

おじさん
してねぇな。好きだったけど。デートとかもしてないね。くはは。

 

おじさん
俺はさぁ、愛が憎しみに変わるのが怖いんだよ。どれだけ愛し合っても、最後憎しみに変わっちゃったら。

俺はこれが一番怖いんだよ。

– 愛は難しいですね。

おじさん
まぁそん時は別れちゃえばいいだけか。ぶははは。

– ちなみにもし今、お父さんに愛する人がいた場合、その方に I love youと伝えるとしたら何と伝えますか?

おじさん
何だよ。最初の話じゃねぇーか

– はい。夏目漱石は「月が綺麗ですね」と言いました。お父さんなら、愛する女性に何と言いますか?

 

おじさん
まぁ、そうだなぁ。どうせ言わなきゃ終わってくんないんだろ?

– そうですね…是非、お聞きしたく。

おじさん
うーん。

 

 

 

 

おじさん
俺の負けだ。

とかじゃねぇの?

– おぉ。

 

2人目のおじさんの「I love you」の訳は『俺の負けだ。であった。

この世で信じれるものは自分ただ一人。そんな自分が、もし愛する人にその身を委ねる時は、お父さんにとっては負けを認めることなのであって、これ以上ない愛情表現なのである。

 

3人目

最後がこちらの方。屋内の休憩スペースにてレース予想をしていたこちらのおじさんである。

 

– お忙しいところすみません。今日は何しにこちらへ。

おじさん
そんなもん決まってんだろ。稼ぎに来てんだよ。

– 失礼しました。結構賭けられるんですか?

 

おじさん
ちょっとだけだよ、俺は。ちょっと賭けて儲かって帰る。それだけだ。

– 手堅い戦法なんですね。

おじさん
まぁ俺以外の奴がどうかは知らねぇけどな。

 

おじさん
みんな年金もらって、その中から生活に必要な金を抜いて残った金を全部競艇につぎ込むんだよ。

 

おじさん
そんで負けて金がなくなって、また2ヶ月後に年金をもらう

それでまたここに来て。この繰り返しだよ。

– 年金って、ここに集まってくるんですね。

 

おじさん
で、何の話?

– はい。今日はですね、端的にいうと、“愛”っていうものを人はどう捉えているのかを聞きたく。

おじさん
はぁ?愛だとぉ?

– お父さんにとって“愛”って何だと思いますか?

 

おじさん
わかんねぇよ。難しすぎるだろ。

– 例えば夏目漱石は I love you を「月が綺麗ですね」と訳したんですけど、

おじさん
何だよそれ。

– もしお父さんであれば、I love you を何と訳しますか?

 

おじさん
うーん…そんなのギャンブル○いに聞かれたってわかんねぇよ笑

– では、例えば好きな女性に好意を伝えるのが恥ずかしくて遠回しに伝えるとき、何と言いますか。

おじさん
難しいなぁ。

– 夏目漱石は、「愛してます」とか「好きです」ではなく「月が綺麗ですね」と伝えたのですが。

 

おじさん
大体俺からしたら「月が綺麗ですね」ってあんまいい言葉じゃねぇしな。

– でも夏目漱石が言った、というのが大きいんですよね。

おじさん
夏目漱石が言ったからって関係ねぇだろ。俺からしたら夏目漱石なんて大したことねぇよ。

– それは確かに、ごもっともだと思います…!

 

おじさん
俺からしたら別に月は特別綺麗じゃねぇもん。

何なら月よりも花の方が綺麗だし。

 

おじさん
「月よりも綺麗だね」って伝えた方がいいんじゃねぇのか?

– おぉ。お父さんなら、そう伝えますか?

 

おじさん
あぁ。

 

 

 

 

おじさん
お前は月よりも綺麗だよ。

– とてもグッときますね。

おじさん
って言うかな。

 

おじさん
ま、夏目漱石の時代はまだ月が何なのかあまりわかってない時代だったからな。

今はもう月まで行く時代だからよ。

– 当時よりも月の価値が下がってるんですね。

おじさん
最近はもう科学で説明できることばかりだからな。霊も神も存在しないんだよ。

 

おじさん
こんなんでいいか?

– はい。ありがとうございました。大変助かりました。

おじさん
これ他の奴にも聞いて回ってんのか?笑

こんなのギャル○いに聞いても誰もわかんねぇだろ笑

 

最後のおじさんの答えは他2人の回答と比べてやや直接的だが、

だからこそ少し恥ずかしくなるような、しかし言われた方はとても胸に刺さる、甘酸っぱい表現であった。

 

総括

いかがだっただろうか。

様々なバックグラウンドと世界観を持ったおじさんたちには、各々の I love you. があった。

 

苦心して考え抜いて絞り出された言葉は、その人の生い立ちや人生観を力強く表すのだろう。

月が見えにくくなったこの時代でも、愛を表す表現は無数に溢れているのだ。

 

あなたは、大切な人にどんな言葉で想いを伝えますか?