35歳の話

3.解説

【1】さて、ここまで3つの「35歳」を紹介しましたが、これらにおいて共通しているのは「未婚」「固定費が安い」くらいのもので、極端に生活に困ることも社会から孤立することもなく普通に暮らしているだけの人々のありふれた人生です。

ここで「こんなの恵まれてる方だろ」と感じる方もおられるでしょうし、実際どのケースも「親ガチャ」的な意味で決してハズレではないと思いますが、今回は弱者/強者の話をしていないので一旦その気持ちは忘れていただければと思いますし、逆に「日本にはこんなささやかな生活をしている人達が沢山いるなんて…」と思った方は社会を知らなすぎるので、一回ふわっちを見てきてください。どちらにせよ「普通」というのは、その人の中にしか存在しないということですね。

この人達がたちまち社会福祉のお世話になることはありませんし、特に大きな問題が起こらない限りはこの先数十年生きて天寿を全うすることもそんなに難しくはないと思います。「大きな問題」というのも想定されるのは「自分か家族が大きく体調を崩す」「天災を喰らう」あたりになるかと思いますが、そのリスクは多分誰にとっても同じですし、それによってたちまち生活が立ち行かなくなるというレベル感の話でもないです。

【2】結婚をしていない現状についても「まあ別にいいか」と楽観視しており、将来的に独身のままでいることに対する覚悟も醸成されてきてはいるのですが、恐らく結婚相談所的なところの人に言わせれば「ガチれば余裕」くらいの気がしますし、なんだかんだそれくらいの年齢でいきなり結婚する人も結構いるのを考えると「別にできなくはない」くらいの感じです。

また、ケース1,3の場合は収入アップできる可能性も大いにあって、良い感じに応募書類をお化粧すればもっと稼げるポジションに転職することは容易いと思いますし、ケース2の場合でも、資格や技能次第で収入を増やせる余地はあるので、現状に甘んじることを強制されるようなものではないですね。

【3】ただ、これらのケースにおいて、本人がそれを望んでいるかというと「別に望んではいない」というのが重要で、本人が現状に満足しているのであれば、そこから別の場所に移動するモチベーションは湧いてこないです。

「結婚(出産/子育て)しなきゃ」「キャリアアップしなきゃ」というモチベーションについて考えてみたとき、「結婚(出産/子育て)しなければいけない理由」も「キャリアアップしなければいけない理由」も実は自分自身の中に特に存在しないことのほうが多くて、大体は「世間の目(社会からの要請)」であったり「親(家族)の圧力」みたいな外的要因です。

「生物として子孫を残したいと思うのは本能」みたいなのもそりゃあると思いますが、社会生物である人間がその願望を実現するためには、置かれた環境に適応して生存戦略を遂行していくというのが「生物として」正しい形じゃないかなと思いますし、結局それ(生存戦略の遂行)を必死でやってないのであれば「本能に従ってない」ということかと思います。

セミだってカエルだってそのために必死で鳴いてるわけですし、「モテたい」という欲求に基づいたチンポコドライブで社会的な成功をおさめてる人もいますが、それは結構少数派だと思いますし、多分「子孫を残したい本能」って多くの人にとって「できたらいいなあ」くらいの温度感のものでしかないです。

その上で「結婚(出産/子育て)したいな」と考えるとき、頭の中に思い描くのは「家族に囲まれて幸せに暮らしている自分」だと思いますが、別のルートで「幸せに暮らしている自分」が思い描けるなら「結婚(出産/子育て)」という手段にこだわる必要はありません。

キャリアアップに関しても同様で、別にキャリアアップしなくても楽しく生きていける人は沢山いますし、最近では「昇進したくない人」というのも明確に顕在化してきているくらいに「キャリアアップ」と「幸福」の結びつきは弱くなっています。

【4】これらの原因の一つとして「結婚しても幸せそうに見えない人」であったり「キャリアアップしても幸せそうに見えない人」という負のロールモデルが世の中に多く存在していることが考えられます。

具体的にはSNSで夫への呪詛を垂れ流すタワマン育児垢だったり、非人道的な働き方を自嘲気味に喧伝するコンサル垢だったりですが、そういうのを見てたら結婚やらキャリアアップに対するモチベーションが薄れていくのは当然のことですし、シンプルに「ああはなりたくねぇな…」という気持ちが強くなっていきます。

一方で「35歳」にとってこのまま10年後、20年後を楽しく生きている自分を想像できるような、正のロールモデルが存在するかと考えたとき、インターネット上においてはほとんどそんな人はいなくて、むしろ「独身のままだと40代で狂う」みたいな不安を掻き立てる説や、それを実証するかのような「狂った」40~50代のアカウントしか見つからないです。

「結婚」や「キャリアアップ」といった一般的に「幸せ」とされていたものを兼ね備えたはずのパワーカップルにおける困窮をまことしやかに語る週刊誌の記事や、「タワマン文学」と呼ばれる、首都圏で上昇志向を持ってもがき苦しむ人々を嘲笑するようなコンテンツは、庶民が溜飲を下げるための「酸っぱい葡萄」として消費される一方、それらは確実に個人における「幸せ」の概念をぐらつかせています。

また、実際にケース3のようにキャリアアップを志向した結果メンタルをドギツくやられるというのもよくある話で、実体験としてそれを経験した人がもう一度その殺し合いの螺旋に戻ろうとは思わないですし、そうした体験談を聞いて「身の丈にあった道を選んだ方が良いな」と思うのは極めて自然な流れです。

【5】しかし「35歳」がそうした「結婚」や「キャリアアップ」から目を背けた先には、死んだ目の氷河期世代の群れが手招きしている状態であり、その結果「どっちにもなりたくねぇ」と足踏みしてしまうのは仕方ないとは思いますが、根本的にそのの状況に陥らないためには「インターネットをやめろ」しかないと思います。

ただ、こんな記事に辿り着いてしまった貴方はもう手遅れと考えるのが妥当ですし、多分ここからインターネットを断つためには服役しか無いと思うので、「じゃあどうするのか?」を考えたときに最も重要なことは「狂わないこと」です。

 

4.狂った40代にならないために

【1】「狂わない方法」を考えるとき、まず明確にすべきは「狂う」という状態がどういうものなのかです。

辞書を引いてみると以下のような感じです。

くる・う〔くるふ〕【狂う】

  1.  精神の正常な調和がとれなくなる。気が違う。気がふれる。
  2.  物事・機械の働きや状態が正常でなくなる。
  3.  ねらい・見込みなどが外れる。予測・計画通りにならない。
  4.  物事に異常に熱中して見さかいがつかなくなる。おぼれる。
  5.  (他の動詞の下に付いて)普通の程度を越えて激しく動き回る。ひどく…する。
  6.  神霊・もののけが取りついて、普通ではない行動をする。神がかりになる。
  7.  激しく動き回ったり、舞い踊ったりする。
  8.  ふざける。じゃれつく。

https://www.weblio.jp/content/%E7%8B%82%E3%81%86

一般的に人に対して使用されるのは上記の1かと思うのですが、ここでは「精神の正常な調和」がキモになってきます。「精神の正常な調和がとれている状態」とは、ざっくり「目の前に存在する現実をその通りに認識していること」だと思っていて、あくまでも(基本的には)他者からは観測できない精神世界の話でしかありません。

さすがに「電磁波」とか「神の声」とか言い出すとわかりやすいですが、1の意味で狂っているかどうかは正直外面だけで判断できるものではないですし、「40代で独身だと電磁波とか言い出す」は暴論すぎるので、「40代で独身だと狂う」というのは上記用法における2や3のニュアンスが強いんだろうなと思います。

そして、その場合の「狂っている」は「年齢相応のマナーや立ち振る舞いを習得していない」みたいな感じで、観測者にとって「正常(予想した姿)ではない」と見做すことを指しています。そう考えると「狂ってるかどうか」の判断基準は見る側にしか存在しておらず、「正常な状態」も文化圏や個人差が大きく影響するところなので、絶対的な指標が存在するものではありません。

【2】

元の投稿

少し前に話題になったこのケースにおいて「40過ぎて独身で親と同居して自分の趣味に没頭している」という状態を「狂っている」と判断するためには、「40歳までには自立して結婚して家庭に専念している」という「正常な状態」が前提になりますし、この情報だけで「(精神の正常な調和がとれていないという意味で)狂っている」と判断するのは難しいです。個人的には「外出のたびに家族に車を運転させる」が一番の嫌ポイントでした。

また「イタい」「キツい」も全然わかりますが、それこそ完全に個人の感想でしかないので、指差して笑うくらいならまだしも、とりたてて問題にするようなものではないですし、社会の中にイタい人がいたとしても、本人が幸せであり他人に害が無いのであれば、概ね全方位においてハッピーなのではないかと思います。

また「子育て経験者なら当然知っていること」みたいな知識を「一定以上の年齢なら当然知っていること」と混同したうえで、子育てに関して無知な独身の人を「そんなことも知らんなんてイタいわ…」って感じてしまうケースもよくありますが、これは「自分が常識だと思っていることは相手も知っていて当然だと思ってしまう」というよくある誤謬ですし、それを基に個人を糾弾するのはさすがに無理筋ですね。

【3】さて、「40代で独身だと狂う」という説はまことしやかに語られていますが、こうして考えてみると恐らくその多くは「イタい」という個人の感想でしかないです。独り身の寂しさに耐えかねてガチの精神疾患を患い、神とチャネリングできるようになったケースもあるにはあるとは思うんですが、流石にそれを一般化できるほど多くないんじゃないかなと。

勿論、若い世代の独身者と比較した時、40代以降の独身者の「(精神的な意味での)狂い率」が高いというのは体感的にも納得できるところではあるのですが、未婚既婚問わず上の世代に対して「頭おかしい」と感じやすい傾向は当然ありますし、そもそも実際に更年期障害や脳機能の低下などで情緒がおかしなことになってるケースも多々あるので、独身であることがそれほど有意な要素であるかというと微妙な気がします。

2023年現在で実際に狂っている40~50代は、上記の例でも触れられている「ロスジェネ≒氷河期世代」にあたる存在ですが、この世代は「新卒時に正社員になれなかったことやその後も仕事が無かったことが影響して現在も低スキル/低所得」という層です。

そして、職の不安定さや低所得≒貧困とメンタル不全の相関については既に各所で語られてるところであることを考慮すると、氷河期世代の「狂い」というのは基本的には「貧すれば鈍する」という流れの中で説明可能であり、「独身である」というのは貧困に紐づいてくる結果でしかないのかなと思います。

特に「職の不安定さ」はメンタルヘルスに及ぼす影響がデカいとされていて、派遣やバイトといった雇用形態での就労者が多い現在の40~50代において「狂う」人が多いのは、独身だからじゃなくて「来年どうなるかわからない」という不安に圧し潰されたパターンの方が多そうです。参考

【4】で、今回挙げた「35歳」は所得こそそれほど高くはないですが、基本的には安定した仕事に就いており、この先30年くらいはなんとなく現状維持でも生きていけそうなビジョンが存在しています。勿論、親の介護や自分自身の体調不良みたいなのは歳相応に出てくるとは思いますが、そこでまとまったカネを積める人以外に平等に降りかかってくることなので、(余程カネを積める人でない限りは)相応に苦労して乗り越えていくだけだと思います。

また「(経済的/年齢的に)結婚したくてもできなかった」と「選択できる上でしなかった」では通底するメンタリティがかなり大きく異なるところで、上記の例のような「子供を作れなかった焦り」が狂気を生むという仮説をベースとするなら、恐らく今回挙げた3つの例のような「35歳」はそれほど狂気に蝕まれないんじゃないかなと思います。

感じ方に個人差こそあれど「独身であること」に対する全体的な社会的圧力は明らかに年々弱まっていると思いますし、結婚して子供を作らない選択肢も「別にそれも当事者の自由でしょ」という風潮も強まってきているので、外的な圧力を受けるシーンは減ってきているでしょうし、身近な人がそれを言ってこないのであれば「焦り」はあんまり生まれないと思います。むしろ、生殖能力の低下とともに結婚願望が弱まっていく方が健全な気もしますし。

【5】というか、結局は独身のままでいたら「結婚しとけば良かった」と思うことも、結婚したら「独身でいとけばよかった」と思うこともあるので、あくまでもその時の自分にとって「後悔の少ない(少なそうな)ほう」を選択していくしかないと思いますが、正直そんなのはやってみないとわからないし比較しようがないので、どう考えたところで正解の無い話です。

そういう正解の無い話に関する判断を先送りすることも「先送りする」という判断だと思いますし、そこで先送りしなかった場合のことを考えてもあんまり意味は無くて、結局は「その時の自分が考えてみてどうなのか」で判断していくしかないとは思いますし、そういう風に自分自身の気持ちと向き合いながら生きていれば、少なくとも「焦り」で狂うことはまずないかと。

それこそ「生物として子を作らなければ狂う」みたいな遺伝子レベルの仕組みがあれば、それは乙としか言いようがないですが、今のところそういう遺伝子は見つかっていないのでご安心下さい。

逆に「そろそろそういう年齢だから」と世間体を気にしながらなんとなく結婚したり、なんとなく子供作ったりして、その「取り返しのつかなさ」から変な義務感に苛まれて狂ってるパターンも散見されますし、結婚しようがしまいが、結局自分の気持ちを掴み損ねて、無理やり現実を受け止めようとすると狂うというだけだと思います。

【6】では、独身のまま狂わずに40代になった人は何になるのかと考えると「狂ってない40代」になるだけです。具体的には、各ケースの年齢に10歳足して45歳とし、糖尿の疑いをかけられたり尿路結石で一回入院したりするエピソード、両親の介護に関するエピソード、仲間内から1~2名の死人が出るエピソードを挟めばOKです。想像してみてください。

よろしいですか?

………

……

ここで「あ、ちょっとキツいな」と思ったのであれば、今すぐに結婚するなり転職するなりのアクションを起こすことを考えた方が良いですが、逆に「まあ、それも人生だよな」としみじみ思えるのであれば大丈夫です。

 

更に10年後を想像してみましょう。更に10年後の55歳の場合は、健康状況の悪化に関するエピソードと仲間内の死者数を2倍してください。介護の話はそろそろ決着がついています。

よろしいですか?

………

……

ここで「あ、ちょっとキツいな」と思ったのであれば、今すぐに結婚するなり転職するなりのアクションを起こすことを考えた方が良いですが、45歳時点から動き出しても相当キツいので、動けるなら35歳時点で動き出した方が良いです。逆に「まあ、それも人生だよな」としみじみ思えるのであればもう大丈夫で、あとは自分の順番が回ってくるのを待ちながら逃げ切り体制に入るだけです。

そして、今の「35歳」が20年後にその5割が未婚となるのかどうかは、このシミュレーションにおいて、その何割が「あ、ちょっとキツいな」と思うかに懸かっていますし、少子化対策で優先的に考慮しなければいけないのは風呂にすら入らない純粋培養のキモ人(んちゅ)ではなく、本人がやる気にさえなればまあまあ結婚してくれる「35歳」だと思います。

【7】ちなみに、現在の50歳時点での生涯未婚率は男性で3人に1人、女性で5人に1人と、既にそこそこの割合で存在していることを考えると、世の中の50歳は結構な高確率で狂っているということになるのですが、実際生活している中でそんなに狂人を「喰らう」ことはありません。

そう考えると、世の中には恐らく焦りや不安から解放されて「もう大丈夫」になってる方も多数存在しているんですが、その人達は別に困ってないので社会問題にはならないし、狂ってない中高年はむやみに若者に絡んでこないので、下の世代にとっては透明な存在になっていることがほとんどです。

で、この「透明な中高年」こそが「35歳」がそのままの形で生きていく場合の正のロールモデルだと思うんですが、如何せん「透明なので認識できないが、確かにその空白地帯に存在するはずの存在」という、進化の過程におけるミッシングリンクを埋める存在のようなものなので、基本的にはあくまでも想像で補完するしかありません。

狂ってるかどうかを問わず独身中年全体に関する記憶を辿れば様子のおかしい人ばかりが出現するんですが、それは一撃の印象が強すぎて記憶に焼き付いていたり、「独身中年=狂っている」というバイアスによってそうなっているだけで、無害かつそれなりに楽しく生きている「45歳」または「55歳」は我々が知覚できないところに必ず存在しているはずです。

あいつじゃない こいつじゃない 君は知ってる

「35歳」に関しては、世の中の人々をパワーカップル、マイルドヤンキーと恋愛弱者やニート、限界中年といったわかりやすいグループでくくっていったときに初めて現れる、巨大な空白地帯を構成する要素の一つだったのですが、同様にその空白地帯には「35歳」を経て「45歳」「55歳」「65歳」になっていった人々が存在しているはずです。

5.まとめ

【1】わかりやすいグルーピングというのはそのわかりやすさ故に話題になりやすいですし、それだけ意識を向けやすいので、ついつい自分との比較対象としてしまいがちですが、世の中には特にそんなわかりやすいグルーピング以外の価値観が星の数ほど存在しており、あくまでも「自分はどうか」と考えたときに「幸せである」と思えるならそれがその人生における最適解です。

そして、何かを選択するというのは必ず何らかの後悔を伴うものであるということを考えると、その後悔も含めて「自分の人生」と捉えられるようになります。

ここで言いたいことは「幸せならOKです」でしかなく、巷に溢れるグルーピングのことは一旦忘れて「自分にとっての幸せは何か」を考えた上で、それを能動的に選択することの大切さです。自らを「氷河期世代」や「恋愛弱者」とグルーピングしたところで、その先に幸せがあると思えないですし、そんなこと考える暇があるなら今の暮らしの中で目の届く範囲で楽しいことを見つけた方が絶対に良いです。

【2】色々な人から話を伺う中で、現代日本社会に漂う得体の知れない閉塞感の正体は、今回紹介した「35歳」のように別に裕福でも貧乏でもないし、強くも弱くもない大多数における「上を見ても下を見てもロクでもないし、じゃあこのまま行ったとてロールモデルが無いからどうなるかわからない」という不安なのではないかと思ったことが本稿を書き始めたきっかけでした。

しかし、特に問題無く暮らせているので顕在化していないだけで、世の中には社会における自分の相対的なポジションなんて気にせず(無駄な劣等感に苛まれることなく)、楽しく暮らしている人が沢山いるんだろうなと思いますし、そういう人達を「不可視」としていたのは、わかりやすいグルーピングに気を取られていた自分自身だなと思いました。

そして、物価高や増税による生活に関する不安や、その他様々な軸で区切られた固有のグループにおける苦しみといった、顕在化されたものに対しては、具体的な対策を検討することが可能となりますが、「35歳」における不安というのは明確に声として顕在化しているものではないですし、顕在化したとて別に社会全体に影響を及ぼす問題にはならないので、対策を検討する俎上に乗ることはありません。

【3】とはいえ「35歳」の話を聞く中では、将来に対する諦念と期待が入り混じったようなものを感じることが多く、そこには「人生そんなもん」と思いながらも「このままでいいのか」という葛藤が存在しています。

そして、「このままでいいのか」と思いながら「でも、どうしようもないし」と絶望している人と「まあなんとかなるか」と楽観視している人がいて、後者に関しては割と楽しく生きておられるような気がしますが、前者からは焦燥感というか不安というか何か辛そうなものを感じます。

それがエスカレートすると前述の通り「(マジで精神を病むという意味で)狂った40代」に進化するんだと思いますが、逆にそういうプレッシャーが無ければ「(人によっては)狂った(ように見える)40代」にしかならないので、本人としては幸せに生きていくことが可能です。

【4】その辺の話はここで書きましたが、結婚や出産というのはそれだけで「夫or妻」「父or母」という確固たるアイデンティティ≒属性をゲットできる手段であり、その属性に基づいて他者(第一候補は自分の親)にロールモデルを見出すことは比較的容易であるため、自分を「父」や「妻」と定義した上で「父ならどうするか」「妻ならどうするか」といった判断が可能になりますが、そういった属性を持たない場合は「自分はどうしたいか」と考える他ありません。

しかし、なんの属性にもよらず「自分はどうしたいか」を考えるというのは大海の中を手探りで進むようなものであり、その不安を紛らわせるために自分に「氷河期世代」や「恋愛弱者」といった属性を付与した上で、物事を判断したくなるんだと思います。

もちろんこれは「夫or妻」「父or母」についても同じで、「何も属性が無いことが不安だから結婚したい」という理由から結婚を焦る人は実際のところ結構いると思いますし、そうやって結婚した人は結局「自分はどうしたいか」ではないところで判断する習慣がついてしまっているので、あとから愚痴ったり離婚したりしがちです。

なので、既に何度目かの話ですが、結婚するかとかは別として「自分はどうしたいか」と向き合うことが幸せを長続きさせる秘訣だと思いますし、そのためには他の属性を取っ払った「今現在~歳の自分」という最小のグループで考えることが肝要です。

【5】ここまで「てめえで勝負しろ」という8文字で済む話を長々と書いてきましたが、こういう「自分はどうしたいか」というのは個々人がいろんな経験を経て自分で考えながら、時間をかけて「自分の中での判断軸」を確立していくものなんだと思いますし、とりあえず進んでみるかくらいの気軽さでやっていくのが良いと思います。

では、今回もこの言葉で締めたいと思います。

あやぶむなかれ

昨年の今頃にもマジスカスクウェアガーデン様に寄稿させていただき、同じくこの言葉で締めたんですが、その直後にアントンが死にました。

 

R.I.P.