35歳の話




 

超長いし、過去のやつと同じオチです。

 

1.「35歳」とは

【1】現在40〜50歳くらいの世代を指す「氷河期世代」という言葉があります。

この世代はITバブル崩壊の影響を受けて、大学卒業時点の就職市場が壊滅的であったことから、ファーストキャリアの時点で正社員になることができなかった方が多く、正社員としての就労経験やその後のキャリアアップの機会が乏しかったことで、現在の所得も低く、保有資産も少ないため、多分30年後くらいに地獄を見ることになるだろうと予想されています。

そうした方々は全国で数百万人にのぼるとされており、この世代が高齢に突入したときに、住むところも蓄えも無いという状況に陥る可能性が高く、その場合生活保護などの社会福祉費用が増大し、財政を圧迫する恐れがあるとか無いとか。

更に氷河期世代に限らず、低賃金であっても今働けているだけまだマシな方で、学卒から現在に至るまで職歴無しで家族の庇護のもとに生活しているニートにも高齢化の波が押し寄せており、「親の年金を削りながら生きているので、親が死んだら俺も死ぬ」というパターンもリアルに存在しています。

【2】また、東京では地価や教育費の高騰に伴い、世帯年収2000万円を超える「パワーカップル」と呼ばれていたような人達ですら、子育てというシーンにおいて将来を見据えた投資をすると困窮を余儀なくされるみたいな話もありますし、逆に働いても年収200万円台で「もうそれ生活保護でよくない?」みたいな話もあって、結局年収数億とかじゃない限りはどんだけ稼いでもどっかで生活は困窮するし、そうでなければ普通に困窮するか社会福祉に頼って「最低限度文化的な生活」を享受するしかないみたいな話もあります。

【3】あと、高齢化に伴う地方都市の衰退も加速度的に進んでおり、廃墟と化す駅前の商業施設が後を絶ちません。個人的にはそういう感じの地方都市が一番好きで「駅舎は妙にデカいけど、駅前には誰もいないし、地銀くらいしかない」という場所に来ると毎回「あ〜、土地と仕事さえあればこういうところに住みたいな〜」と思っているので、土地と仕事くれる人おられたらお声がけください。俺、がんばります。

ここ働視点

こうした地方都市において、消費の中心とされているのは、

  • その地域で生まれ育ち
  • その地域で結婚して
  • その地域で子育てをして
  • ヴェルファイアかアルファードに乗っている

という所謂「マイルドヤンキー」と呼ばれる層であり、そういった層に関しては親世代と同居していたり、土地を相続してたりで固定費が安く、更に親を育児のリソースとして活用することで全力ダブルインカムを実現しているため、収入に対する可処分所得率がめちゃくちゃ高いです。

バカ高い固定費や教育費に圧迫されて、モノを減らしながら一点豪華主義で戦わざるを得ないライフスタイルを「丁寧な暮らし」と肯定しながら生活するパワーカップルは、収入面では平均を遥かに上回りながらも、「何も考えずに金を使える」という意味ではマイルドヤンキーが優勢です。地方都市にはケーズデンキを超える高額商材を取り扱う店が無いだけなんですが。

【4】ただ、「配偶者がいる」という点において、これらパワーカップルやマイルドヤンキーは「強者」と言われるところで、世の中には「恋愛弱者」と呼ばれるような、本人のキモさや低収入、複雑すぎる家庭環境といった様々な理由から恋人や配偶者といった関係性を構築できない人もいます。

そういう存在は近年増加の一途を辿っており、2035年には50歳前後の男性における生涯未婚率が5割を超える見込みとかで、上記教育費の高騰もあわせて少子化がヤバいとか人口減少がヤバいとかそんな話も沢山あります。

【5】さて、ここまで何となく話を展開させてきましたが、ここまでで出てきた「属性」を整理してみるとこんな感じです。

  • 氷河期世代
  • ニート
  • パワーカップル
  • マイルドヤンキー
  • 恋愛弱者

このように社会における何らかの問題や傾向を語る際には、時代や地域だけでなく、本人の経歴や資質といった様々な要件を基に何らかのグルーピングをした上で、そのグループに対してああでもないこうでもないと議論を重ねていくものですし、実際にそうやって何らかの補助線を用いて分類してみることで見えてくるものは沢山あると思います。

ただ、そうした議論や考察の俎上に上がるのは、そうやって何らかの要素を用いたフィルタリングを経た存在であり、逆に言うとフィルターを通り抜けた存在については、社会的な議論や考察の対象となることはありません。そして、世の中の多くはそうしたフィルターにかからない「わかりやすい特徴が無い、普通の人々」によって構成されています。

なんでもない なんでもない 君の笑顔を

相対的なポジションで考えてみたときに「パワーカップル」「マイルドヤンキー」といった配偶者も経済的資本もある強者性を持つ層と、「氷河期世代」や「恋愛弱者」のように経済的資本や関係性的資本の点で”明らかに”弱者性を持つ層との間に存在する、「特に裕福でも貧乏でもないし、強くも弱くもない存在」が社会問題になることはないですし、それ故にその人たちについてリアルに語られることはあまりありません。ほとんどの人が自分に当てはまるのでセンセーショナルな話ではないでしょうし、明らかに弱者性を持つ人たちの嘆きを差し置いて、わざわざ「いやいや俺だって」と自分から語るようなもんでもないですしね。

一口に「弱者」にもコントラストがあって、各種障害を持つ人や高齢者、その他経済的困窮者であっても、基本的人権の尊重の精神に則ってたちまち死にはしない程度の保証はされているんですが、氷河期世代や恋愛弱者のような「とはいえ生きていけるんでしょ?」という層に関しては割とドライに切り捨てられていますし、更に問題無く生活できている人達にフォーカスが当たることはありません。

そこで今回はいくつかのケースを基に「特に裕福でも貧乏でもないし、強くも弱くもない『35歳』」について考えてみたいと思います。「35歳」なのは35が好きだからで、別に33歳でも38歳でもいいです。

 

2.いろいろな「35歳」

※モデルの人物は実在しますが、ある程度フェイク入れてます。

ケース1…谷岡くん35歳(東京都在住)

谷岡くんは東京都北区在住。宮城県の大学を卒業し、就職に併せて上京。一人暮らしには十分な広さで6万円台の家賃と、十条駅にも東十条駅にも近い交通の便の良さに惹かれて、上京してから12年間ずっと同じアパートに住んでいます。上京当時の初任給より収入は増えたとはいえ、生活するにおいて特に不便も無く、都心部と比べると緩やかな空気が流れる十条の街を気に入っているので、引っ越しの予定はありません。

谷岡くんは宮城県大崎市で生まれてから高校までを過ごしました。県北では大きいほうの都市ではありますが、新幹線の駅を出た瞬間からただの住宅街で、そこから少し行けばすぐに田園地帯が広がる、純然たる田舎です。とはいえ都市機能がコンパクトにまとまっているため、郊外に出ない限りはあまり田舎を感じさせるような要素も少なく、住んでいる方々も「仙台に比べれば田舎だけど、栗原/登米よりはマシ」という観点から、あまり自分たちを田舎者と自嘲するようなことはありません。

谷岡くんはそんな街で、自分のことを特に田舎者だと思うこともなく、都会への憧れを強く抱くこともなく育ちました。小学校と中学校では陸上競技を、高校では吹奏楽部に所属し、活動的な学生時代を過ごしました。クラスの中では中の上くらいのポジションをキープしていて、なんとなく良い感じになった女子はいましたが、特に恋愛に発展することはなく純潔を貫き通しました。

また、高校生の時にドハマりし、初めて1人で仙台のライブハウスに行きます。これまで家族や友人と共に仙台や東京に行ったことはありましたが、このとき初めて「都会」に対して1人で向き合うことで「自分は田舎者なんだな」と痛感しました。

谷岡くんの「目覚め」

高校卒業後は仙台の大学に進学し、ご両親からの仕送りを受けながら仙台での一人暮らしを開始します。仙台での一人暮らしはとても刺激的で、午前0時を過ぎてコンビニ以外に開いている店が沢山あることやその時間にも歩いている人が沢山いること、その他数多の「都会っぽさ」に谷岡くんは圧倒されましたが、とはいえそれにもすぐ慣れて普通の大学生として仙台に馴染みました。ちなみにこの頃、なんとなく彼女のようなものができて、なんとなく純潔を散らし、なんとなく別れます。

就職活動ではとりあえず大手企業を受けてしっかりと全滅して身の丈を思い知ったあと、Aqua Timezのライブ帰りからむくむくと湧き上がってきた「都会」への憧れに順じて「とりあえず東京で働く」という方針に変更。無事、コールセンター業務を中心にアウトソーシング領域の事業を展開する東京の企業で内定を獲得します。

東京での新生活の準備の真っ只中で東日本大震災が発生し、谷岡くんの東京生活は混乱の中で始まりました。親族が無事であることは早々に確認できたものの、混乱する現場の中でロクな研修も受けないままに現場に放り出され、不慣れなコールセンター業務に従事する日々。

やっと仕事に慣れてきたと思ったら、次は各種支援施策に関する問い合わせ窓口業務や震災後の雇用創出のための新規コールセンター立ち上げなどの鬼繁忙期が発生。多忙を極める日々ではありましたが、その当時を乗り越えた同期や先輩たちとは共に難局を乗り切った「仲間」としての意識が強まったことで、会社に対する愛着が芽生えました。

現在はコールセンターのSV職。主に派遣社員で構成される現場において、数少ない正社員としてコールセンターの現場を中心に活躍しています。プレッシャーの中でも粘り強く取り組む姿勢が評価され、それなりに順調に昇進していますが、基本は現場中心のキャリアを積んできたため、ここから更に昇進を目指すためにはマネジメント能力の強化が必要であると評価されています。

収入は毎月手取り30万円(額面38万円)程度。ボーナスを含む手取り年収は420万円(額面550万円)程度ですが、家賃を低く抑えているため生活に困窮することはありませんし、結婚の予定こそありませんが、いざという時のために積み立てNISA枠満額に加えて、毎月5万円貯金しているため、約700万円の資産を持っています。

週末はインターネットで知り合った友人とボードゲームカフェに遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったり。1人のときは買い物ついでに最近近所にできたシーシャバーによく立ち寄っています。長く付き合っている友人も似たような生活をしている人が多く、あまり込み入った実生活の話をすることもないので、気楽に付き合うことができますが、内心では「そろそろ結婚も…」と考え始めています。

35歳という年齢を考えると結婚はそろそろ急いだほうが良さそうだけど、ネットで読む婚活体験記には「35歳なら年収600万がボーダー」のように自分にとってネガティブな情報しか出てこないですし、そもそも恋愛経験の少ない谷岡くんにとって、この年齢でゼロから異性と仲良くなるイメージがあまり湧きません。

なので、漠然と「今の友人たちと変わらずに細く長く付き合いながら年老いていくんだろうな〜」というイメージを持っていますが、一方で今の暮らしが死ぬまで続くと考えるとそれはそれで虚しさがありますし、そもそもAIコールセンターが実現化していくなかで今の仕事をいつまで続けられるかわからないし、その前に身体を壊してしまったらどうしようもないし…とか考えると「このままではいけない」という不安も湧いてきます。

ただ、一念発起して何らかの具体的なアクションを起こすモチベーションは特にありませんし、そもそもやるとしても何をやればいいのかわからないので、徐々に「とりあえず、そこそこ楽しく生きていければいいか」という落としどころに傾いていっています。

ちなみにご両親(父:61歳、母:59歳)は宮城県大崎市在住。東日本大震災では一時的に避難生活を強いられましたが、ご自宅は幸いにも一部損壊だけで済んだため、現在も同じ場所に住み続けておられます。

ご両親は共に公務員をされており、お父様は定年後の再任用として働き、お母様も可能であれば元気なうちは働き続けたいとお考えです。ご自宅のローンは完済しているため、今のうちに老後の資産形成を盤石とすることが狙いです。現在既に5000万円程度の金融資産を保有されています。また、谷岡くんには妹が1人おりますが、谷岡くんが30歳の時に結婚して、現在はご家族と仙台市内在住です。

 

ケース2…小川くん35歳(京都府在住)

小川くんは京都市伏見区在住。実家でもある一軒家に両親と兄の四人で暮らしています。小川くんは高校卒業後、一旦は料理人を志して某老舗料亭で住み込み修行をしていましたが、修行の厳しさに耐えかねて2年ほどで退職。その後は実家に戻り、フリーターとして生活していましたが、28歳の時に一念発起して家電部品を製造する工場で正社員として働き始め、現在勤続7年目。収入は毎月手取り19万円(額面22万円)で、ボーナスを含む手取り年収は300万円程度です。

小川くんは所謂「オタク」で、美少女系を中心にアニメやゲーム(含アダルト)を幅広く嗜んでおり、学生時代からの友人もほとんどが同好の士。料理人の修行が辛くなった最大の理由も「大学や専門学校に行った友人はコミケとかで楽しそうなのに、なんで自分だけ」という気持ちが強くなったことで、実家に戻った後は友人たちと夜な夜な語り合う日々を過ごしました。

小川くんの「目覚め」

実家周辺は決して治安が良いとされるようなエリアではなく、小川くんが中高生だった20年前くらいまでは、平日の昼間からノーヘルのヤンキーが原付で疾走している光景が日常茶飯事、夜になるとミッドナイトパープルのハイエースがどこからともなく現れて、重低音を響かせながらゆっくりと巡回しているようなエリアでしたが、現在ではエリア全体の高齢化が進み、築50年近い大きな団地を中心として、静かに滅びゆく街の様相を呈しています。

小川くんはヤンチャな同級生とも仲良くやれるタイプのひょうきんものであったため、特にいじめられることもなく、ましてや自分が非行に走ることもなく、適度な距離感をキープして育ってきました。なので、同じ京都人が「ああ、あそこね…」と顔をしかめるような治安の悪さについてはあまり深刻に受け止めておらず、静かで物価が安く、何より学生時代の友達が多く残っている地元のことを結構気に入っています。

仕事においては、フリーター生活の中で2年以上同じ職場にい続けることができなかった経験から、正社員として働き続けることにかなり強い不安がありましたが、たまたま同じ職場に小中の同級生が在籍していたことで、すぐ職場に馴染むことができ、現在まで約7年間続けることができています。

また、その同級生とは同じく地元に住み続けていることで、上司部下という関係性ではありながらも、休みの日にはオンライン対戦ゲームをするなど、幼馴染として良好な関係を築いています。

小川くんの他の友人に関しても大半が地元に残っており、所謂「子供部屋おじさん」であることが殆どでありながらも、基本的に定職には就いているため、経済的な不安があるわけではありません。しかし、そもそも周辺の賃金がそれほど高くないことや、大半が高卒か専門卒であるためにホワイトカラー職種に就くことが少ないことから、それほど多くの収入があるわけではありません。

ただ、小川くんやその友人達は車やギャンブルといったお金がかかる趣味を持っていないため、特に何かを気にして節約するような必要はありませんし、「使わなかった分は貯金する」といった感覚でもそれなりにお金が溜まっていくので、親が長期入院するとか家の車買い替えるとか、200万円くらいまでなら何とか捻出することはできます。

結婚についてはもうほとんど諦めていて、そもそもお酒を飲まないので飲みに行くことも無いし、遊びに行くとしても新京極のアニメイトくらいしか無いので、出会いすらありません。友人の中には職場で知り合ったシングルマザーと付き合っているやつもいますが、小川くんの職場には50代の女性事務員が一人いるだけですし、わざわざマッチングアプリに登録してまでパートナーを探すのは「なんか違うな」と感じてしまうのでやりません。

ただ、ずっと同じように付き合っていけると思っていた友人達も、30歳を超えてからいつの間にか恋人を作って結婚していったりするので、このままだと1人だけ置いていかれるのでは?と不安になることもありますが、なんだかんだ友人たちは結婚しても地元にいる限りは細く長く付き合えるだろうと思っているので、「良い出会いがあればいいな」くらいのかなり淡い期待を抱きながら日々を過ごしています。

ちなみに、同居する兄も似たような生活を送っており、似た者同士の兄とは子供のころから変わらずアニメやゲームの話で盛り上がっています。ご両親に関しても、その状況を受け入れておられ、特に自立や結婚を催促するようなことはせず、「自分たちが死んだ後に家を残せるように」と少しづつ家の修繕に取り掛かっています。

 

ケース3…鈴本さん35歳(大阪府在住)

鈴本さんは東大阪市額田在住。実家で母親と二人暮らしをしていました。父親は鈴本さんが中学生の時に病気で他界。しかし、残された家のローンが団信でカバーできたことや、父親が手厚く保険をかけていたことが幸いし、生活に困窮することなく鈴本さんは大学まで卒業することができました。

出身は和歌山ですが、父親の転勤に伴い6歳のころに東大阪に移住してきました。小学校、中学校では活発で成績も優秀、生徒会役員を勤めるなど生活態度も良く、父親の他界という不幸に見舞われながらも、高校受験では府内でも有数の進学校に合格します。

高校進学後は英語学習に注力し、高校在学中にTOEIC800点を突破。理系教科はあまり得意ではないものの英語を主軸とした文系科目では進学校の中でも上位の成績をおさめました。

大学受験では関西名門私立の英文科に現役合格。家に負担をかけないようにと、学校まで片道1時間半の道のりを4年間通い続けました。また、大学ではチアリーディング部に所属し、副部長として活躍。関西大会に出場し好成績を残すなど、充実した学生生活を送ります。

就職活動では、明るいキャラクターと英語力を武器に多くの内定を獲得しましたが、最終的に選んだのは東京に本社がある大手人材系企業でした。その会社を選んだ理由は、幅広い分野で事業展開しており、様々な場面で語学力を活かせるチャンスがあること、そして何より自由闊達な社風が自分に合いそうだと思ったことです。

入社後はインターネット広告を扱う営業部門に配属されました。英語とは無縁ではありましたが、真面目な鈴本さんは与えられたミッションに対して真剣に取り組み、着実に目標を達成し、高く評価されます。若手のエースとして期待され、早くもチームにおけるリーダー的ポジションが確立しつつある26歳のとき、母親が末期がんであることが発覚します。

鈴本さんには5つ年下の弟がいます。鈴本さんは弟と大変仲が良く、頻繁に連絡を取り合っていましたが、その弟から突然「おかんが倒れた」という連絡が入りました。検査の結果、末期の大腸がんであることが発覚し、もって2年程度だろうと宣告されました。

鈴本さんはすぐさま退職して実家で母親を看取ることを決意しますが、会社からは「当面は介護休暇扱いでよいので、落ち着いたら戻ってきてほしい」「関西のポジションも用意できる」と引き止められ、会社に籍を残しながら母親の看護に専念します。

母親は1年後に亡くなりました。弟と二人で葬儀を済ませ、誰もいなくなった家を整理しながら、「これが落ち着いたら仕事復帰するか…」とぼんやり考えてみると、忙しくも充実していた新卒時代を思い出して懐かしい気持ちになります。

定期的に会社との連絡はしていたため、職場復帰に向けてはスムーズに進みました。当時の上司が関西において、以前と同様のポジションを用意してくれたため、若干の不安を抱えながらも鈴本さんは安心して復帰することができました。

「こんなに良くしてくれた会社に恩返しをするつもりで頑張ろう」と意気込んで職場復帰してみたものの、鈴本さんは「以前のように働けないこと」に気が付きます。お客様の役に立てればと必死になれた提案も、今では汎用資料を持って一辺倒の説明をするだけだし、目標達成のためにチーム一丸となって取り組もうという意欲も今は何故か湧いてきません。だからといって特段評価が下がるようなことも無く、それなりに仕事をこなしているだけでそれなりの収入は得られます。

「会社に恩返しをしたい」と思って職場復帰したのに、やっていることはぶら下がり社員だということに気付いた鈴本さんはその会社を退職します。退職の際には関西の上司だけでなく、以前引き止めたくれた上司までもが心配して声をかけてくれましたが、鈴本さんのなかでは「このまま会社に迷惑をかけ続けること」が耐えられませんでした。

その後、鈴本さんはすぐに転職活動を開始しますが「大手出身の第二新卒」というカードは引く手数多でした。多くの企業と面接をする中で、鈴本さんは新規サービスの立ち上げを目指すベンチャー企業に入社します。その企業を選んだ決め手は、各業界の大手企業出身者が立ち上げた企業であり、今後のキャリアにおいて大切な経験を積めると考えたことです。

新サービスの立ち上げはイレギュラーの連続で、大手企業のような「スムーズに仕事ができる仕組み」がありません。鈴本さんは必死でついていこうとしますが、上司や役員の無軌道で突発的な動きや役員同士の衝突に巻き込まれて疲弊していきます。更にはまだサービス開発段階にも関わらず、新規で見込み顧客を獲得することを目標として設定されてしまい、テレアポや飛び込み営業を繰り返しました。

そうこうしているうちに、ある日突然会社に行けなくなります。心療内科では「抑うつ状態」と診断され、休職を勧められましたが、サービスの開発状況が不透明であることや、その先に復職できるイメージが湧かないことから退職を決意。その後2年間、療養に専念します。

母親からの相続のおかげで、大きく貯金を切り崩すこともなく療養生活を送ることができましたが、ベンチャー企業での激務に追われる中で恋人とは疎遠になり、常に気にかけてくれるものの弟は上京してしまったために、昔は家族四人で住んだ一軒家に一人暮らししていることを思うと、とても空しい気持ちになります。

31歳になった鈴本さんは、近所にある個人経営の飲食店でアルバイトを始めます。子供のころから過ごした街は、ご両親を亡くした鈴本さんを優しく受け入れてくれました。子供のころから自分を見守ってくれた親世代の方々の優しさに触れることで、鈴本さんは徐々に本来の明るさを取り戻していきます。

地元で子育てをしている同級生たちと会うこともありましたが、皆鈴本さんの家庭の事情はなんとなく知っていますし、その中で苦労してきたことに対しても一定の理解を示してくれます。元々人気者だった鈴本さんの力になれればと、地元の同級生たちはこぞって鈴本さんの働くお店に来てくれるようになりました。

コロナ禍もご近所の方々の応援で何とか乗り切り、35歳になった鈴本さんは今もその店で働いています。高齢の店主に代わって店を切り盛りし、ゆくゆくは鈴本さんのお店になっていくのでは?とも噂されていますが、鈴本さん自身はあまり興味が無く、誰かに必要とされて楽しく働くことができればそれで良いと思っています。

結婚については周りの人々から何度も勧められていますが、結婚して子供を産んで…と考えると今の仕事を手放すことになるし、両親の残してくれた家を手放したくはないので、もし結婚するとしても今の家に同居?うーん、でもそれは相手が嫌がりそうだし…などと考えているうちに、恋愛そのものが億劫になってきました。それよりは目の前のお客さんが喜ぶ顔のために働いたり、吉本新喜劇を見て笑っている「今」の方が大切な時間に思えてしまいます。「良い相手が見つかればね」と返しながらも、多分そんな人はいないし、見つからなくても別にそれで良いと思っています。

鈴本さんの月収は18万円で、そこから各種社保を引いた14万円ほどが収入となりますが、住居費は固定資産税のみ、食費はお店のまかないや残り物でかなり浮くので、毎月5万円は貯金に回すことができています。老後、弟とその将来の家族に迷惑をかけないためにも、65歳までに自力で2000万円の資産形成を目指しており、これからもできる限り働き続けたいと考えています。