壁に敷き詰めた写真、何枚からだとストーカーになるのか




 

ストーカー規制法が2000年に策定され、いわゆるストーキング事案は社会問題として広く認識されるようになった。

その中で醸成されたストーカーの一般的なイメージとして、好意を寄せる相手の写真を自室の壁に敷き詰めるタイプが挙げられる。

 

 

映画やドラマなどの演出のせいもあり、ストーカーの部屋はおおよそこのようなイメージを持たれている。

逆に言えば、部屋一面に写真を飾っているような人物は、その時点でストーカーと判断されてしまう可能性すらある。

 

もしも、清廉潔白の身でありながら、ただただ自室に飾ってる写真が多いだけの人このように疑われてしまうとしたら、それは由々しき事態だ。

 

 

部屋一面に写真を敷き詰めたとき、果たしてその写真が何枚以上だとストーカーと言えるのだろうか。

ストーカー行為は絶対にあってはならないことである。そのような存在としっかり決別をしておく意味でも、この閾値(しきいち)を見定めておくことは有意義だと考える。

 

というわけで今回は、「部屋の壁一面に写真を貼ったとき、一体何枚以上でストーカーと判定されるのか」を検証していく。

 

検証開始

今回は次の人物に検証に参加してもらう。

 

ごどう…このサイトの企画スタッフ。正義感は人一倍強いものの、ストーカーですと紹介すれば、なるほどそうですかと言われかねない、ギリギリの容姿をしている。

 

今回はごどうの部屋の壁に特定の人物の写真を貼って、その枚数を増やしていく。

 

端的に言えば、このごどうの気持ち悪さが「これはもうストーカーだ」というラインに到達した時点で検証は終了となる。

その際の枚数が今回求めるべき閾値、すなわちストーカー転換点となる。

 

壁に貼り付ける写真に関しては、ごどうの知人の女性にご協力いただいた。

「貴女の写真を使い、実際にストーカーはしないけれど、ストーカーをさせていただきます。」

と彼女に企画の趣旨を伝えたところ、「なぞなぞですか?」とのことであった。

 

そんな彼女の写真を、ごどうの部屋の壁に貼り付けていく。

それでは早速始めていこう。

 

1枚

まずは1枚から。後ろの壁を覆った布を引き剥がすことにより、見てはいけないものを見てしまった空気を出した上で考察していく。

 

さて、布をとってみよう。

 

むしろ純愛を感じさせるものに。

写真1枚であれば何の問題もない。まるで、恋人の写真を飾っているようで好感すら持ててしまう。

 

本当に大切な1枚だけに絞ったストーカーとも解釈できるが、

そんな男らしい選択ができるならストーキングをしているはずもない。今回は考慮から外しても良いだろう。

 

それでは次はこの写真を3枚に増やしてみよう。

 

3枚

実力不足のストーカーになった。

そもそもの写真が足りなさ過ぎようやく“複数枚”と言える量ではあるが、物々しく布を外した光景としては、若干の肩透かしを食らってしまう。

 

前そんなナリして全然写真ないじゃねえかよ。お前ホントにアイツのこと好きなのかよ。そんな言葉がつい、口をついて出てしまいそうだ。

本人はドラマGTOのストーカー教師・勅使河原をイメージしたようだが、あいにく表情の方は反町寄りのそれになっておりコンセプトにもまとまりがない。

 

思い切って10枚に増やしてみる。

 

10枚

余白が目立って一番良くない。

3枚の時点では単純に実力不足が目に見える結果だったが、今回はどこか途中で飽きてしまった感が漂っており非常に印象が悪い。

 

もしこの男があなたのストーカーだとして、「君のことを愛しているんだよ!」と言いながらこの壁を見せられたらどうだろう。

まずはしっかりと引くものの、正直もっとやれるだろの気持ちがふつふつと湧いてくることは想像に難くない。

 

この手のストーカーはきっと、仕事が忙しいだの、写真を現像するお金がないだの、自分に言い訳ばかりして枚数は一向に増えないタイプだと推察する。しかし世の中一番多いのは、こういう人間なのかもしれない。

 

それでは倍の20枚まで増やしてみる。

 

20枚

満を待してのストーカーである。

今も片田舎に住む両親に「自分は東京でストーカーをやってるんだぞ」と、胸を張って報告できるレベルにようやくなってきた。

 

一人前のストーカーになれたことをごどうに伝えると、「視線がこっちを向いてない写真じゃないとダメなんだよなぁ」こぼしていた。なるほど、確かに被写体がこちらを向いてない方が盗撮感が出てそれらしくなるようだ。彼は彼で、この企画の中でいつの間にかもう一段高みを目指していた。

 

以上より、この20枚がストーカー転換点となり、もし部屋に写真を敷き詰める場合には20枚以上は注意した方がいいという結果になった。

仮に20枚以上の写真を部屋に貼る場合は、誰かに見られた際にストーカーではないことを証明できうるだけの答弁を考えておこう。

 

 

とはいえ、今回例に挙げた女性の写真以外でも20枚のラインは果たして変わらないのだろうか。

各人が部屋に飾りたい写真は千差万別である。他のパターンでも、ほんの少し試してみよう。

 

銀閣寺 20枚

ただの「造詣が深い人」になった。

無生物に関しては、いかなる枚数が張り出されていても一切ストーカーになれないことが示された。

 

いかに不気味な表情を作ろうとも、せいぜい印象としては「撮影禁止のところも撮ったのかな」くらいであり、狂気性は滲み出てこないようだ。

 

単なる神社仏閣クラスタになってしまったごどう。四季折々の銀閣に囲まれて、もはや風情や情緒を大切にする人として非常に好感触な人間ではないだろうか。無論、ストーカーとしては0点である。

 

無生物がダメならこちらはどうだろう。

 

機関車トーマス 20枚

ヒッって声が出た。

銀閣寺のように鉄道クラスタ程度にとどまるのかと思いきや、とにかく顔面がついてるので気味の悪さが醸し出された。

 

これがストーカーとしての不気味さなのかは分からないが、少なくともこんなイカれた走馬灯のような部屋に長居はできないだろう。

結論、部屋に貼ろうとしている写真は、顔がついている場合に限り20枚以上に要注意である。

 

総括

皆さんは今部屋に何かの写真を貼っているだろうか。

好きな歌手アイドル、はたまた人ではない何かかもしれない。

 

もちろん何かに好意を寄せた場合、部屋にその写真を飾ることは至極当然な行動であり何ら問題はないだろう。

しかしそれが20枚というラインを超えた時、果たしてあなたは自分を客観的に見れているだろうか。

 

第三者を自宅に招く際には、ぜひ一度、この記事を思い出してみてほしい。