関ヶ原の戦いをトントン相撲で再現してみた




 

日本の歴史を振り返ると、史実に影響を与えた重要なターニングポイントがいくつか存在する。

それらの多くは戦争であり、皮肉にも時代の節目節目における戦を通じて、我々の歴史は前進を続けてきた。

 

そしてその中でも最も重要な戦の一つに、

関ヶ原の戦いが挙げられる。

 

出典:Wikipedia

 

江戸時代の始まりは、徳川家康関ヶ原の戦いに勝利し江戸に幕府を開いた時期という説が有力視されている。

もし徳川家康が敗北していたら江戸時代はなかったかもしれない。現代に至るその後の歴史も大きく変容していたことだろう。

 

このように歴史上重要な転換点においてifの世界を考えることは、歴史を見つめ直す上で非常に有意義である。

あの関ヶ原の戦いも、一歩間違えれば全く違う結果になっていたのではないか。そしてそれを、現代の我々でも簡単にシミュレーションできる方法はないのだろうか。

 

 

それは、トントン相撲(紙相撲)である。

 

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トントン相撲とは、力士を模した紙の人形を台に載せ、指でトントンして振動させることで、相撲の取組に似た動きをさせて勝敗を競う遊びである。

関ヶ原の合戦においては、すでに歴史研究家の手により各軍の兵力や配置が明らかになっている。その布陣図を元に紙で軍勢を再現し、トントンすれば、我々でも関ヶ原の戦いがシミュレーションできるのではないか。

 

 

今回は 関ヶ原の戦いをトントン相撲で再現してみる運びとなった。

日本史上で最も重要なターニングポイントの一つである関ヶ原の合戦が今宵、全く新しい歴史へと生まれ変わる。

 

 

製作開始

まずは実際の関ヶ原の戦いにおける陣形に基づき、各陣営の駒を作成する。

今回は以下の図を参考にさせていただいた。

 

出典:城びと

 

関ヶ原の戦いとは豊臣秀吉亡き後の実権争いであり、毛利輝元を総大将とした西軍と、徳川家康を総大将とした東軍の戦いである。

しかし西軍総大将の毛利は戦いの場には現れず、大阪城内で指揮をとっていた。そのため戦場における現場のトップは、1万7,000人の兵力を従えた西軍副大将・宇喜多秀家と言えるだろう。

 

駒の大きさは大・中・小と分け、大がそれぞれの陣営の総大将。中が各陣営の中将、そして小が足軽を表す。

先述の事情のため、西軍の総大将には宇喜多をアサインする。中将に関しては、例えば西軍は石田三成で、東軍は福島正則が相当する。

 

土俵には、実際に関ヶ原の戦いが行われた岐阜県不破郡関ケ原町の一帯を用意。

伊吹山・南宮山の山林に囲まれた自然豊かな関ヶ原の地は美しくもあり、つわものどもにとっては過酷な場所であったことだろう。

 

それでは各駒を陣営ごとに分けて配置していこう。ルールは実際の戦と同じで、先に総大将格の駒が全滅した方の敗北とする。

そして今回トントン相撲によりおこなう関ヶ原の戦いは、特別に2番勝負とする。

 

なぜ2番勝負なのか?

実際の関ヶ原の戦いでは将軍小早川秀秋が最初は西軍として戦うのだが、後に徳川家康の東軍に寝返るのである。

 

 

トントン相撲中に小早川秀秋とその軍を東側陣営に移動させることは不可能なので今回は、

①小早川秀秋が東軍にいる

②小早川秀秋が西軍にいる

 

2パターンで執り行うこととする。

それでは早速始めていこう。

 

 

第一試合

まずは第一試合。両陣営の駒が初期配置に着いた。

 

東軍は大将の徳川家康をやや後方に据え、布陣を組む。

 

前線には手前から井伊直政、筒井定次、細川忠興ら中将。

合わせて50万石もの石高を保有するスーパースター軍団が、コンビニの雑誌コーナーが如く重なり合い層の厚さを見せつける。

 

そして家康のやや後方には総大将格の兵力を誇る小早川秀秋が構える。

 

かつて小早川が朝鮮出兵から帰国後、豊臣秀吉から受けた手痛い処分を取り消してくれたのが家康だった。

あの時の恩を胸に、今回の戦では総大将・家康を全面バックアップする。

 

対する西軍は、同じく前線からやや後方に総大将・宇喜多秀家。

 

約57万石もの石高を保有し、率いる兵力では先述の東軍3人の中将をも上回る。

大阪城に残り戦いの行方を見守る毛利輝元の期待を背負い、家康率いる東軍を迎え撃つ。

 

その宇喜多秀家を支えるのは中将・石田三成。約20万石の兵を率いて西軍の中核を担う。

亡き豊臣秀吉の家臣として、今回の戦いを落とすわけにはいかない。

 

兵の数ではやや東軍が有利か。しかし運も大きく影響する今回の関ヶ原の戦い。何が起こるかわからない。

あの激戦から400年駒となった彼らが今宵、再びこの関ヶ原の土俵で躍動する。

 

めっちゃ細かく躍動した。

 

いざ開戦である。

史実では東軍の発砲により決戦の火蓋は切って落とされた。トントン相撲でも、若干東軍の方が進軍がスムーズな気がする。

 

そんな中、ついに東軍に犠牲者が。

西軍の宇喜多秀家が東軍・福島正則の部隊と激突して善戦。東軍の兵力が、西軍の手に落ちた。史実的にも最初の激突である。

 

一方で西軍にも犠牲が現れる。

石田三成隊が細川忠興隊の狙撃により後退したように、まさに一進一退の攻防が繰り広げられた。

 

東軍・総大将の家康は意外にも前線へと歩みを進める。

しかしこれも、濃霧に苛立った家康が進軍した史実の通り。トントン相撲は怖いくらいに当時の戦況を再現してくれる。

 

最前線にて両軍入り乱れる展開に。

想像以上にスマッシュブラザーズ的展開になり、ここに来て戦局が史実とは違う様相を呈しはじめる。

 

最前線にて東軍・筒井定次が進撃し、西軍のトップ・宇喜多秀家の首を狙い真っ向勝負を仕掛ける。

記録では目立った戦果のない筒井だが、トントン相撲ではキングダムのキャラみたいな活躍を見せつける。

 

同じく東軍・福島正則も加勢。西軍の頭を討ち取る大チャンスだ。

しかし、ここで東軍に予期せぬ事態が訪れる。

 

小早川秀秋の敗走。

 

涼宮ハルヒみたいに言ってしまったが、あのキーマン小早川が自ら場外に陥落し敗走した。家康への恩は果たせず。

そう、トントン相撲には場外が存在する。携える兵力も、向かう方向を間違えればこのように一瞬で塵と化す。

 

小早川の死が影響したのかはわからないが、家康は一旦最前線から離れ、安全地帯へと移動した。

 

戦いは激化の一途をたどる。

 

西軍・宇喜多秀家は開戦時から大きく立ち位置を変えず、いたって冷静である。

これが57万石の将軍の佇まいだ。

 

だが、ここで

 

将軍・小西行長、討死。

本来は小早川の裏切りによって崩壊した小西隊だが、完全に別件でやられてしまった形だ。

 

さらに、

 

西軍主力・将軍石田三成も敗走。

自軍を後退させての場外陥落。戦場を脱出し滋賀方面に逃れた彼の末路にもさも似た顛末である。

 

西軍・東軍ともに多くの兵力を失ったこの戦いも終盤戦を迎える。

 

そしてついに…

 

西軍大将・宇喜多秀家、

 

敗走。

元々少ない兵力の中で、小西行長・石田三成を失ってこの勝負を見限ったか。最後は自ら場外へと落ちていった。

 

結果、第一試合は東軍の勝

細かい戦局に違いはあるものの、概ね史実通りトントン拍子に進んだトントン相撲であった。

 

総大将である家康には危険な場面が一度もなかった。完封勝利といえよう。

 

 

第二試合

続いて第二試合。第一試合では東軍として戦った小早川秀秋軍が、今度は西軍として戦う。

 

西軍からすればとても頼もしい兵力と言えよう。

 

いざ、開戦。

 

戦いは序盤から東軍の足軽以下の兵たちが関ヶ原の激しい揺さぶりにふるい落とされていく。

先ほどよりも気持ち強めのトントンにより、戦局はまた違った一面を見せる。

 

そして、

 

西軍主力・石田三成が序盤でいきなり姿を消す。

 

もはや初期位置を呪うしかない。石田は土俵ぎわギリギリのサドンデススタートでもあったのだ。

 

やがて西軍・小西行長も何もできずに討死。

 

戦況は瞬く間に先ほど同様西軍側が不利に。

 

そして、歴史は繰り返すのである。

 

総大将格・宇喜多秀家が倒れた。

ここに関ヶ原の合戦について事実上の終止符が打たれたということか。

 

残された西軍の総大将格・小早川秀秋からはすでに戦線離脱の雰囲気が漂っている。体は完全に東軍とは逆に、そっちは場外なのだが。頑張って欲しい。

 

「逃すまい」と徳川家康。

 

筒井・井伊の両雄もこぞって、二人掛かりで小早川の首を狙う。

史実ではいいとこ取りをした小早川だったが、トントン相撲においてそんな甘い汁はないのである。

 

逃げる小早川。追う東軍。こんなはずではなかったと小早川。地に伏した足軽たちをかき分けて場外へと向かう悲しい情景だ。

そしてついに、

 

ツワモノどもが、

 

夢の跡。

 

東軍の勝利。

 

ほくそ笑む徳川家康。もはや小早川が西軍を裏切ろうが裏切らまいが、全く問題ではないのである。

 

結果

第一試合:徳川家康率いる東軍の勝利

第二試合:徳川家康率いる東軍の勝利

 

となった。いかにトントン紙相撲とはいえど史実はポンポン変わらずに安心した。

 

 

総括

いかがだっただろうか。

今回は関ヶ原の戦いを手元で再現するのに最適なトントン相撲によって、当時の戦況を振り返ってみた。

結果、名将・家康は勝負の土俵を選ばなかったということになったのではあるが。

 

この結果を受けて、それでも揺るぎない史実としての関ヶ原の戦いに思いを馳せてみてはどうだろうか。

400年前激戦に揺れた関ヶ原は、今我々の手元で揺らされていた。