アニメや漫画の定番のオチと聞くと、多くの人が「登場人物の顔の周りだけ丸型に残され、他の部分が全て黒くなる」あの演出を思い浮かべるだろう。
一昔前によく使われていた手法である。
このオチの形式は昭和アニメに多く見られたことから、しばしば「昭和オチ」という呼び方をされるとか。
大抵の場合はコミカルな雰囲気で終わる際に用いられ、丸で囲まれた人物が何か一言発して終わるパターンが多い。
そして「チャンチャン♪」という音と同時に、円がすぼみきって真っ暗になるまでがお約束だ。
日本のアニメではドラえもんや名探偵コナン、海外アニメでもトムとジェリーなどで同様の手法が見受けられる。
これで物語をうまくまとめて綺麗なオチをつけることができる。古き良きトラディショナルスタイルである。
この手法を用いれば、どんなものでもしっかりとオチがつくのだろうか?
例えば、歴史的名画ではどうだろう。
偉大な名画の裏側には必ずストーリーがある。
描かれた1シーンに至るまでの経緯や歴史的背景など、絵画には多くの含蓄がある。ただし、ある程度造詣が深くなければそれらを理解することは困難だろう。
だが、もしそんな名画たちの“オチ”を可視化できるのであれば、この素晴らしい作品を我々でも理解できるのではないか。
今回はあらゆる歴史的名画の登場人物たちに「丸が縮んでいくアレ」を使うことで、作品のオチっぽくなるのかを検証することにした。
先人たちの伝統的手法を応用し、
丸を縮ませながら芸術への見識を広げていこう。
検証開始
まずは言わずと知れた世界的名画、
『最後の晩餐』で試してみよう。
ルネサンス期を代表する画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品である。
イエス・キリストと12人の使徒が最後の晩餐をする様子が描かれた作品であり、完成には3年という年月がかけられた。
こちらの絵画に先述の技法を用いたとき、オチはつくだろうか。
それがこちらだ。
最後の晩餐の最後である。
この調子だと「次週のキリスト」もありそうだ。
さらに、
セリフがあるとさらに引き締まる。
歴史的名画が、ぐっと身近に感じられる。「それゆけ!キリストくん」の放送を夕方5時から見ているようだ。
もう一人加わると、
より“らしく”なる。
このオチ形式では、もう一人追加で登場するパターンも多く存在する。
二人目の人物は、最初の人物に対して攻撃的なパターンが多い。キリストとその連れの軽妙なかけ合いが、画面越しに伝わってくるだろう。
なるほど当初の目論見通り、名画の情景がより鮮明に浮かび上がってきた。
それではこの最後の晩餐にならって、様々な歴史的名画に昭和オチをあてがっていこう。
ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』
19世紀フランスのロマン主義を代表する画家、ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画である。
1830年のフランス7月革命を主題としており、啓蒙時代や宮廷文化の終わりを表現した、含蓄しかない作品だ。
そんな小難しい「民衆を導く自由の女神」に、昭和オチを用いるとどうなるだろう。
なんともトホホな結末に。
この端の男も本来は死んでいるのだが、ここにきて一言いただくことで、小市民の悲壮感を醸し出すことができる。
かのフランス革命をまったく違う視点から捉えることができ、非常に意義のある取り組みだろう。
エドヴァルド・ムンク『叫び』
エドヴァルド・ムンクの代表作であり、日本人でも知らない人はほとんどいない。
「愛」と「死」、そして「不安」をテーマに描かれた作品だが、絵の内容自体は分かりやすいものだ。
そんな「叫び」に昭和オチをあててみた。
そりゃそうなるだろう。
この人自体が元々オチ担当みたいなものなので、丸で囲まれるのも板についているご様子だ。
表情もアニメのオチと非常にマッチしている。こち亀の部長がブチ切れて両津を探す幕引きに近い安定感がある。
おそらく毎話、彼はこの顔で締めるのだろう。なんだかこの叫びに親近感が湧いてくる。
ダヴィット『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』
ジャック=ルイ・ダヴィットの、アルプスを越えるナポレオンの様子を描いた作品である。
「吾輩の辞書に不可能という文字はない」という格言も残しているナポレオンであるが、そんな彼に昭和オチが務まるだろうか。
吾輩の辞書に不可能という文字はない!!
お前が言ってたんかい。
と言いつつ、互いの信頼と絆で結びつくバディ感からは、物語の爽快さを感じる。
これは黒丸オチの中でもたまにある、コメディではなくちょっとエモい終わり方のやつである。
レンブラント『夜警』
オランダの画家、レンブラント・ファン・レインによる作品である。
「夜警」というのはこの絵画に対する通称で、実際は昼の情景を描いた作品であるとか。
駐禁を取られていた。
本当かどうかはともかく、情景が切に伝わってくる作品にはなった。
本来は中央の領主が、隊長として市民軍の出発を命じた場面だとされているが、
どう見ても「ここにあったものがないんだけど」のときの身振りである。
昭和オチを利用することで、ビジュアルに合った解釈が可能になるのだ。
ミケランジェロ『アダムの創造』
イタリアの画家、ミケランジェロの作品である。
旧約聖書の『創世記』に記された神が、最初の人類であるアダムに生命を吹き込む場面が描かれた作品である。
含蓄を煮しめて固めたような作品だ。もっと平易に鑑賞したい。
ただのお父さんだった。
こちらも王道の、他の丸に囲まれたキャラに怒られるタイプである。口調が強くなると丸が大きくなる演出も趣深い。
いくら旧約聖書の神といえど、奥様には叶わないご様子だ。
しかし、今日は久々の息子の帰省。いつもはセーブしているお酒を解放してでも、晩酌で語らい続けたい父の気持ちもひしと伝わる。
そう言われると次第に、息子と飲みたい父親が、母親に連れていかれる図に見えてくる。
聖書の世界が、よりぐっと身近に感じられる。
『七福神』
最後は日本画でも試してみよう。こちらは七福神が宝船に乗っている様子である。
宝船には金銀・宝石などが積み込まれてあり、このような絵は非常に縁起が良いとされている。
これに昭和オチをつけるとどうだろう。
冷めた龍の一言で締まった。
もはや浮世離れした存在になってしまった七福神。気軽に誘える友人も少なく、
しょっちゅう同じメンツで飲んでるだろうことが推察される。
昭和オチと言いながら江戸以前まで遡ってしまったが、これにより七福神たちが、どこか身近に感じられる存在に転換したのは明確である。
総括
いかがだっただろうか。
昭和オチを使うことで、数々の歴史的名画を前提知識がなくとも味わうことができた。
もちろん実情と異なる解釈もしばし見受けられたが、それも一興だ。
深き芸術の世界に足を踏み入れる第一歩目は、このくらいで良いのかもしれない。
しかし、向き合うべきときは真面目に。誤った解釈を続けないよう、絵画の歴史的背景を学ぶことは大切である。
いついかなるときも、学びの姿勢を忘れないこと。それが、