日本の中学校・高等学校には、特別活動の一環として生徒によって自治的に組織される「生徒会」なるものが存在する。
そしてその生徒会の長に座るのが生徒会長だ。
生徒会長といえば、全校集会や式典で生徒を代表して挨拶を行ったり、
様々な学校行事でも司会進行を担うなど、学校における中心人物と呼んで差し支えないだろう。
さらには日頃より全生徒の最高責任者として、生徒全員が望ましい学校生活を過ごせるように奔走しなければならない。
そのような重責がのしかかる役職であるからこそ、務め上げたあかつきには立派な内申評価もついてくるのだ。
ゆえに、その学校で最も真面目な人物が就任するケースも多い。
生徒会長は生徒会長でも、
ヤンキー高校の生徒会長はどれぐらい大変なのだろうか。
学校行事での挨拶や取り仕切り、そして全生徒の学校生活に目を配る上で、それが不良・ヤンキーで構成された学校であれば、職務の激しさを増すことは想像に難しくない。
生徒会長として立候補するだけでも並々ならぬ覚悟が要るのではないだろうか。
そしてそのようなスラム街から一心発起する人間こそが、日本を率いていく傑物に値するのではないか。
その姿から我々が学ぶことも大いにあるだろう。
ということで、今回は不良・ヤンキーの生徒が多く在籍していた学校で生徒会長をしていた人はどんな人なのかを調査する運びとなった。
荒野から芽吹いた人物の価値観に触れることで、下町ロケットの佃製作所のような情熱溢るるドラマを、ひいては戦後の復興から高度成長をもたらしたあの頃の日本を、今一度思い出してみよう。
調査開始
今回我々は当サイトのTwitterアカウントで当該の経歴を持つ人物を募集した。
【募集】
不良・ヤンキーの方が多く在籍されていた高校で、生徒会長をしていた経験がある方を探しています。・Zoom、もしくは対面での記事のインタビューに参加可能な方(顔伏せ可)
該当する方は、ぜひDMまでご連絡ください!
— マジスカスクエアガーデン (@yariotta_mazide) February 1, 2022
するとその直後、ありがたいことに元ヤンキー高校の生徒会長の方2名から連絡をいただけた。
ヤンキー高校出身というものの、しっかりと敬語でご連絡をいただいており、さすがは元生徒会長である。
とはいえ文末の火の絵文字からは、あの頃様々な火遊びに興じていた確かなヤンキーイズムも感じられる。
我々は早速このお二方にお話を聞く約束を取り付け、後日Zoomにてインタビューをさせていただく運びとなった。
今回、元ヤンキー高校の生徒会長であるお二人には我々で用意した以下の質問をしながら色々なお話を引き出していく。
・学校の地域と偏差値
・どの程度学校が荒れていたのか
・なぜその学校に入学したのか
・生徒会長を務めることになった経緯
・生徒会長の仕事内容
・生徒会長としての主な実績
・大変だったこと
・やりがいを感じたこと
・学校のヤンキーとの当時の関係性
・当時のヤンキーと現在も交流はあるか
・ヤンキー漫画は好きか
:ろくでなしBLUES、東京リベンジャーズ、クローズ、etc
:その漫画の中で好きなキャラは誰か。生徒会長ならではの目線があるか。
・今はどんな暮らしをしているのか(生徒会長時代の経験は生きているか)
・ヤンキー学校の生徒会長あるあるを1つ
今回インタビュアーを務めるのが次の人物だ。
ぴろぴろ…当サイトの管理人。高校時代は陸上部ながら、一回り体の大きいサッカー部と野球部のご機嫌を取る形でなんとかスクールカーストの真ん中あたりにいた。女性のヤンキーは大好きである。
そして今回の調査は前半・後半の2部に分かれており、当記事では前編として、一人目の方のインタビューを紹介させていただく。
それではまずは一人目の元ヤンキー校の生徒会長の方からお話を伺っていこう。
一人目・どうもとさん
まず最初にインタビューをさせていただくのがこの方だ。
どうもとさん…本名。埼玉県のヤンキー高校出身で、元生徒会長。現在は大学4年生で実家暮らし。高校名はシークレットだが、なんでも校舎に設置される大学合格実績の垂れ幕に、浪人生の結果も含められている学校らしい。
埼玉県の高校とか死ぬほどあるんで。
早速肝っ玉の大きさを垣間見せるどうもとさん。ヤンキー数百人を名実ともに率いてきた度量は健在のようだ。
偏差値はどのくらいか
いわゆる、本当によくないレベルでしたね。
やはりヤンキー高校でも、成績上位者が生徒会長を務めるという形は変わらないようだ。
どの程度学校が荒れていたのか
で、そのセブンをうちの高校の生徒はみんな使っていたんですけど、
一番下のコースの8クラスが6クラスになって、合計8クラスになります。
なぜその学校に入学したのか
何となく説明会に行ったときに、たまたま話をした先生がめちゃめちゃ良い人だったんですよね。
そういうのがきっかけになることは多々ありますね。
最初一つだけ懸念があって、自分陸上部に入ろうと思ってたんですけど、うちの高校はグラウンドがなかったんですよね。
「いやぁ…実はね、どうもとくんが2年生になる頃にはなっちゃうんだけど、あっちの奥にタータントラックを作る計画があってだな…」
って説得されたんです。そこでもうこの高校に決めました。
※タータントラック イメージ
もともとその場所は養鶏場だったんですけど、地主さんがもう歳だからって売却する予定だったんです。
それをうちの高校が買い取って陸上用のトラックを作る計画が進んでいたそうです。
普通に考えてトラックがある学校の方が珍しいくらいですからね。
ちなみにですが、そのタータントラックはできたのですか?
地主のおっちゃんが「やはり賃貸にしたい」とのことで破談になりました。
そりゃあずっとタイルやコンクリの上を走らされていたら怪我しますよね。
たとえ、どんなにケアを怠らなかったとしても。
生徒会長を務めることになった経緯
ちなみに他にはどのくらい立候補者がいたんですか。
一人しかいなくてもふざけた演説をしたら、たとえヤンキーでも「いいえ」を選ぶ正義が働く可能性があったんです。
「学習に支障がない範囲でモバイル機器の持ち込みを許容することにより、生徒のモチベーションも上がりこの学校の未来が変わるかもしれません」
という話をしましたね。
希望に満ちた高校入学から部活動での挫折、そして突然の生徒会長立候補から当選まで、ここまでどうもとさんの様々なお話を聞いてきた。
随所にヤンキー校ならではのエピソードも潜んでおり、今回我々が知りたかった話が聞けているのではないだろうか。
しかし、どうもとさんの生徒会長談話はまだまだ止まらない。