小学生の教育課程では国語算数をはじめとした主要5科目とともに、体育や家庭科などの副教科と呼ばれる授業があった。
そんな副教科の中でも、やや特異な教科として道徳という科目が存在する。
道徳は平成27年度に学習指導要領が一部改正されるまで教科外活動として扱われていた。使用する教科書も検定を受けておらず、資料も教員が独自に作成していた。
それゆえ道徳は他科目と比べて軽視されたり、教員が道徳教育の理念を十分に理解できていないなどの課題もあったのである。
学習指導要領の改正後、小学1年生は年34時間、それ以外は年35時間の履修が義務付けられたほか、教材には検定教科書が使用されるようになった。
かくして道徳は「特別の教科」として再スタートを切ったのである。
ここでいう「特別の」とは、道徳が他の科目と違って生徒たちの評価が数値化されないことを意味している。
生徒間で優劣はつけず、彼ら彼女らの良い点を褒め励ますという個人内評価に落ち着くところが、他の科目との大きな違いとなっているのだ。
学年が上がるにつれて、求められる道徳の難易度は上がるのだろうか。
前述の通り道徳の授業において生徒たちの評価が数値化されることはない。では授業のレベルはどうだろう。
たとえば算数では、1年生は簡単な足し算や引き算から学んでいき、6年生は立体の体積の算出などに挑戦する。
1年生から6年生で当然ながら課題のレベルが上がっていく。
では道徳の授業に関しても、1年生と6年生で求められる道徳心がレベルアップしていくのだろうか。
そして子供の見本となる道徳心を持つべき我々大人は、小学校高学年レベルの道徳に太刀打ちできるのだろうか。
ということで今回は、小学1年生の道徳の教科書と6年生の道徳の教科書において、求められる道徳のレベルに差はあるのかについて調べる運びとなった。
忘れ去られがちな副教科の中でも一際異彩を放つ道徳にスポットを当て、学校教育の意義を問いただしていく。
調査開始
今回は一般向けにも販売されている光文書院の道徳の教科書を利用して調査を進めていく。
文部省による検定済みの道徳の教科書は様々な出版社から販売されているが、内容に大きな差はない。
基本的にテーマごとに物語や論文が用意され、その最後に生徒たち自身に考えさせる課題が記されている。
今回はこの1年生の教科書と6年生の教科書からそれぞれ試験問題を作問し、実際に道徳の試験を実施する。
教育上タブーとされている道徳の点数化をおこなうことで、相対的な難易度の差を明らかにしていくのである。
だがその前に、教科書から読み取れる低学年と高学年でのレベル差を定性的な側面から確認しておこう。
①表紙デザインに見られる志向性
1年生の教科書の方では授業中に積極的に発言権を得ようとする生徒たちが描かれている。
まずは「個」として自らを律していくこと。しっかりと主張をして、外の世界に飛び込んで行くことの重要性が示唆されている。
そして6年生の教科書では下級生たちの助けとなるような、信頼できる上級生像が描かれている。
後進を支えて行く年長者としての心構えが重要なテーマとして据えられている。この時点でもう、大人でも遅れを取りうる高レベルの道徳を見せつけている。
②作品タイトルの難化
道徳の教科書では「命」「友達」などの大きなテーマの中に、2〜4ページの長文作品が複数用意されている。その文章のタイトルだけを見ても、1年生と6年生で難易度に差が感じられる。
主な作品タイトル
「1年生」
・みんな みんな いきて いる
・はしの うえの おおかみ
・ルールが ないと どう なるの?
・ぼく はずかしいや
「6年生」
・六千人の命を救った決断
・大空に飛び立つ鳥
・マナーからルールへ、そしてマナーへ
・わたしはどうひろがる?
大人の我々ですら、6年生の教科書の文章は読むのに尻込みする。
6年生の「六千人の命を救った決断」なんてもう字面から読む気が失せてしまう。できることなら1年生「ぼく はずかしいや」だけを読んでいたい。
しかし1年生だからと言って油断していると「ルールが ないと どう なるの?」のようなカウンターが飛んでくる。
ルールをルールとして当然のように飲み込む我々大人は、果たしてこの問いに答えられるのだろうか。
③作品末の課題の難化
道徳の教科書では上記赤線部分のような課題が題材ごとに用意されている。この課題も、1年生から6年生で難化の傾向が見て取れた。
主な課題
「1年生」
・かぞくの ために どんな ことが できるか まとめましょう。
・がっこうや いえで まもっているきまりを はっぴょうしましょう。
・がいこくの ひとと なかよくするために たいせつな ことを まとめましょう。
・かぞくの よい ところは なんでしょう。
「6年生」
・本当の自由とは、どんなことでしょうか。自分の言葉でまとめましょう。
・自分の短所を改め、長所をのばすために大切にしていきたいと思うことをまとめましょう。
・男女関係なく信頼し合い、助け合っていくために大切なことを、まとめましょう。
・あなたには、どんな夢がありますか。その夢を実現するためにどうしたらよいか、考えましょう。
6年生の課題、とんでもない難易度である。
「本当の自由とはどんなことか」など、尾崎が15の夜に書き綴るような内容が、その3年前の指導要領ですでに問われているのである。
「どんな夢がありますか。その夢を実現するためには。」なんて今の我々が回答できるだろうか。白紙のままの回答用紙が涙で滲むイメージしかできない。
④同テーマにおける課題の難化
1年生と6年生で同じテーマを扱っている場合でも、最後の課題の難易度に差が見られた。
テーマ:「自然」
「1年生」
みぢかに ある しぜんや、 どうぶつたちと ふれあいましょう。
「6年生」
自然を守るための行動について、具体的に計画し、実行しましょう。
6年生ではもはや道徳の枠を超え、社会科の領域まで拡大している。
どうぶつたちと触れ合うだけでよくできましたと言ってもらえた1年生には、もう戻れないのである。
テーマ:「命」
「1年生」
じぶんの いのちが かがやいている ときを みつけましょう。
「6年生」
あなたの周りの、「命を輝かせている」例をさがして、発表しましょう。
自分自身を知る1年生から、視野を広げ他人の良い部分を発見していく姿勢が6年生では求められている。
自分の命すら満足に輝いてるか分からない我々大人は、この課題にどう向きあえるのだろうか。
振り返ってみると、6年生の道徳はおろか1年生の指導要領でも今の我々が存分に戦えるかは怪しいところである。
やはり具体的な点数化をおこない、義務教育で求められる道徳レベルを再認識しなくてはならない。というわけで、
いよいよ道徳試験、スタートである。
道徳試験の実施
今回は1年生用と6年生用の道徳の教科書をもとにテストを作成し、それぞれ「道徳Ⅰ」「道徳Ⅱ」として実施する。
設問はそれぞれ8問ずつで、試験時間は各60分。前半でも紹介した「課題」を教科書から抜粋して問題に落とし込んだ。
そしてこの道徳の試験を受けるのが次の人物である。
ごどう…当サイトの企画スタッフ。今回道徳Ⅰ・Ⅱの試験に臨む。道徳心は比較的ある方だと自負している。
試験監督は当サイト編集長のぴろぴろが務める。
我々は都内某所へごどうを呼び出し、これから60分ずつの試験を受けてもらうことを伝えた。
え、てか本当に道徳の試験?道徳って試験なんかあんの?
もちろん、小学生の時に暗記した内容を思い出していただいても結構です。
小学1年生でこれ結構むずくない?抽象的かつ奥が深いな。
今年28歳になるごどうが、己の道徳心と向き合いペンを進めていく。
部屋へ戻り再び道徳Ⅰの解答を進めるごどう。
道徳Ⅰでも似たような問題はあったけど…
こうして道徳Ⅱも何とか解き進めていく。「道徳」と「試験」の組み合わせにミスマッチ感は否めないものの、
普段は考えない自身の道徳観に目を向けるきっかけとなり、不思議な充実感があったとのちにごどうは語る。
こうしてごどうによる道徳Ⅰ・Ⅱの試験が終わった。
しかし調査の本番はここから。この試験結果は正当性のある方法で採点しなければならない。
道徳的な考え方や価値観において、絶対的な評価基準はもちろん存在しない。人の数だけ正解はあり、その多様な正解と向き合って理解し合うことも、また一つの道徳なのだろう。
しかし、そんな中でも評定を下すとしたら、その役割は誰がおこなえるのか。ごどうの道徳心が育まれる上での地盤となった人。大人になったごどうの考えを、今になっても諌められる人。
それは、
ごどうさんのお母さんに担当してもらいます。
そう。お腹を痛めごどうを産み育てた、彼の母親に他ならないだろう。