以下の文章は、表題の写真について関連する事象や経緯などをまとめた手記の内容を転記したものです。当該の手記については、著者の知人の方よりインターネット上での公開を希望する意向とともに提供いただきました。
なお、手記自体の著者は、現在連絡が取れる状態にありません。
概要
人物:保坂紀行、保坂菜穂子、保坂陽平
場所:群馬県沼田市——–
撮影日時:平成十五年六月二十五日午後五時頃
撮影環境:撮影は一般的なカメラと三脚を利用。周囲に通行人の影はなかった。
事象内容:本来あり得ないものが写っている
証言一 父、保坂紀行
この写真は、この地に引っ越して1年ほど経った際に記念写真として家族一同で撮影したものである。
撮影後すぐに異変に気付いた保坂さん夫婦は、知人から紹介された霊能者の方と連絡をとり、写真のお焚き上げについて相談した。しかし、焼却することで撮影者にどのような影響があるか分からないという理由から写真の処分は見送られた。
写真はその後、日常生活では触れない物置の奥に保管されていた。
—会話録—
なぜこのようなものが写っているかが分からない。自分たちを見下ろすように写り込んでいるその存在が不気味で仕方ない。年端もいかない息子がいたくこの写真を気に入ってしまい、その事実すらも気味が悪く感じる。
この写真を撮影してから、妻との関係も悪化し、どこか日々の会話や意思疎通が上手くいかなくなっていった。
息子の陽平は、ぼうっと天井を見つめる時間が多くなった。
※二回目の取材後に本件に関する話は今後一切しないと紀行さんから連絡があり、その後アポイントを拒否されている状況
証言二 霊能者、神保
神保という男性は千葉県内に相談所を兼ねた邸宅を構え、紹介制のみで客を取っている除霊師である。通常の除霊やお祓いとは異なり心理療法(セラピー)という形式で霊体の浄化をおこなう。
除霊師とは、霊媒師と比べて除霊能力に特化した霊能者のことを指す。神保は寺院のお祓いなどで効果がなかった霊障者の駆け込み寺のような存在であった。
—会話録—
長く心霊写真の供養をおこなってますが、このような写真を目にするのは初めてです。通常の除霊方法で対応できる保証はありませんでした。保坂さんには悪いことをしましたが、家族や相談所の事務員を危険に晒す可能性があったので、写真の供養儀式は見送らせていただきました。
相談には、お父さんとお子さんの二人でいらっしゃいました。診断中にお子さんから、家の階段を走っていたらお母さんに怒られた夢を見たという、他愛のない話をお聞きしました。
子供の見る夢としては何も気にならない内容でしたが、そのとき紀行さんは血相を変えて、そんなことがあるわけがないと声を荒げていたのが気になっています。
その後私的におこなっていた調査で、群馬県のある土地では風水的に運気が大きく下がる谷の地域があり、この写真が撮影された場所はその地域に該当することが判明しました。
ただし、今回の写真との関連性は突き止められませんでした。
証言三 近隣住民、増岡
増岡さんは保坂家の二軒隣に長年居を構える初老の男性。生まれたときから今の家に住み続けており、現在も未婚である。腰を悪くした母親を施設に入れてから、十年ほど一人暮らしを続けている。保坂家とは、旅行などのお土産を互いに渡し合う程度の関係性はあった。
保坂家が一軒家を建てる以前はその場所は空き地であったが、それより数十年前、増岡さんの幼少期には酷く損傷した家があったという。
その家の住民の姿を見たことは一度もなかった。
—会話録—
この写真を撮影したのが–年の–月ごろなんだったら、二年ほど後に保坂さんの家族は引っ越してますね。転居までの半年ほどは、それまでと打って変わって家はしんとしてました。以前はよく庭でお子さんが遊んでいたんだけど。
家が静かになっていく直前ですかね。表に水を撒いているときに、確か一人どこかへ出かける様子だった紀行さんと少し話をしたのを覚えています。
奥さんがしきりにリフォームをしたがっており、予算上の話で揉めているというようなことを言っていました。
証言四 祖父、保坂宏志
保坂さんの転居後、一度だけ祖父の宏志さんに取材をおこなうことができた。
一度目の取材時に、紀行さんの実家のある宮崎市内の病院でお祖父さんが入院中であることを聞いていた。自分も同郷であることを伝えると病院の場所をある程度細かに聞き出すことができた。のちに入院中の宏志さんの元へ直接伺い、お話をさせていただいた。
なお、話を聞いた二ヶ月後に宏志さんの容態は悪化し院内で息を引き取っている。
—会話録—
紀行は前の家ん話をせんかいね。引っ越しした事情は一切なんにもわかっちょらん。
でもこりゃ俺にも分かるちゃ。こん写真はおかしいが。こん写真はおかしい。
だってさ、
あん家、二階なんてなかったやろ。
完